女優・酒井美紀 名作ドラマ『白線流し』の知られざる舞台裏「大学受験の勉強をしながら、撮影現場の長野と家を半年以上にわたって往復」
映画『Love Letter』で、女優デビューを果たした酒井美紀さん。その後も人気作品に続々と出演し、特にドラマ『白線流し』の撮影時は、大学受験勉強も相まって多忙を極めたそう。当時について伺いました。(全3回中の2回) 【画像】「当時と変わらない透明感!」湘南を散策する酒井美紀さんの現在(全15枚)
■「撮影が月に20日間」学校は春休みも返上し ── 16歳で映画デビューした後、生活はどのように変わりましたか? 酒井さん:高校生のときは、実家の静岡と東京を新幹線で往復しながら芸能活動を行っていました。それもあって、デビュー後は、学業と仕事の両立が難しくなりました。
特にドラマ『白線流し』への出演が決まった後はものすごく大変でした。長野県松本市で撮影していたのですが、「20日間滞在して撮影し、残りの10日間は学校に通う」という生活が約7か月続きました。 私の通っていた高校は、「3分の2出席」というルールがあったのですが、出席日数がたりずに冬休みや春休みを返上し、毎日ひとりで学校に補習を受けに通っていました。寂しくはありましたが、異例の形で対応してくださった先生方には感謝しています。
当時、私は大学受験生だったので、3学期になると同級生はあまり学校に来ていなかったのですが、私は出席日数の関係で、ギリギリまで学校に行っていました。2月の誕生日の日も補習で学校に行ったのですが、その時に教室の黒板に「ハッピーバースデー!」と書かれていたんです。サプライズで親友が来てくれて、祝ってくれました。とても嬉しかったのを覚えています。 ── 当時、大学受験を控えていたとのことですが、どのように勉強の時間を確保したのですか?
酒井さん:セリフは撮影の合間に覚え、撮影後は受験勉強に励みました。事務所の方針で「高校までは親元で暮らすこと」と言われていたため、「大学に合格して、早く東京に行きたい」という思いで必死でした。
■東京でひとり暮らしも「どこにいるかわからない日々」 ── 大学生活はどのように過ごしたのでしょうか。 酒井さん:大学では新しい友達もでき、憧れの東京生活を楽しみました。仕事内容は、歌よりも女優としての出演が中心になり、ドラマや映画、舞台などさまざまな作品に出演させていただきました。「一つひとつ、丁寧にやらなきゃ」という気持ちで臨んでいましたが、自分が今どこにいるのかわからなくなるくらい忙しかったです(笑)。