なぜ転落…。日本の「消えた天才」(7)和製ロナウドにガッカリ…。プロではほぼ輝けず
若くして評価され、「天才」と称される選手たちがいる。しかし彼らがそのままスター選手として活躍し続ける保証はない。怪我やプレッシャーに苦しみ、コンディションを落としていく者もいる。今回は大きな期待を背負いながらも才能を発揮しきることのできなかった日本人選手を紹介する。※成績は『transfermarkt』を参照。
FW:矢野隼人 生年月日:1980年10月29日 主な在籍クラブ:東京ヴェルディ、ヴァンフォーレ甲府 現所属クラブ:- 高いフィジカル能力によってゴールを量産し、坊主頭の風貌もあって“和製ロナウド”と呼ばれて将来を大きく期待されていたストライカーがいた。矢野隼人である。1998年度の第77回全国高等学校サッカー選手権大会では帝京高校の攻撃を元日本代表FW田中達也とともに牽引し、同校を準優勝に導いている。 そのパフォーマンスによって、1999年にヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の日本サッカー協会強化指定選手(現特別指定選手)となり、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)戦でJリーグデビューを果たす。デビュー戦からスタメンで出場した矢野に大きな注目が集まったが、プロ入り後は結果を残すことができなかった。 2000年にヴェルディに正式に加入するも出場機会に恵まれず、2001年までの2シーズンで公式戦の出場は7試合となった。再起を図って2002シーズンにはヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍するも、ここでも公式戦1試合にしか出場できなかった。このシーズンを最後に矢野は引退を選択。2007年にFC刈谷(当時JFL)で現役復帰するも翌年に再びスパイクを脱ぐ決断をする。超高校級ストライカーはプロの世界ではほとんど輝きを見せることができなかった。
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