今くるよさん いくよさん待つ天国へ 命日1日違い 女性漫才師のパイオニア的存在「どやさ!」永遠に
お笑いコンビ「今いくよ・くるよ」で一世を風靡し、女性漫才師のパイオニア的存在だった今くるよ=本名・酒井スエ子さん=が27日、膵がんのため、大阪市内の病院で亡くなった。所属する吉本興業が28日、公式サイトで発表した。76歳。京都市出身。通夜は30日午後7時から、葬儀・告別式は31日午後1時から、大阪市内の公益社天神橋会館で執り行われる。 【写真】2年前、3年ぶりに吉本新喜劇に出演した今くるよさん ふくよかな体、カラフルで風船のような衣装がトレードマーク。おなかをポンとたたくしぐさや、両手を顔の前で交互に前後し「どやさ!」と叫ぶギャグは流行語にもなった。 京都市出身のくるよさんは1970年に会社員から転身し、今喜多代さんに弟子入り。その後、京都明徳高時代の同級生で同じソフトボール部のバッテリーだった今いくよさんと「今いくよ・くるよ」を結成した。 細身で濃いめのメークとつけまつげがトレードマークのいくよさんと、ふくよかな体形に派手な衣装のくるよさんがお互いのルックスやファッションなどをネタに、体を張った軽妙な掛け合いで人気を集めた。いくよさんの「私はピッチャーでエース、くるよちゃんはキャッチャーでロース」ネタはお約束だった。 1980年代の漫才ブームにのって一世を風靡(ふうび)。その後も女性漫才師のパイオニアとして、81年の「上方お笑い大賞」金賞、84年の同大賞など、数々の賞を獲得してきた。関西演芸界の発展と振興に貢献したとして、23年には「第26回上方演芸の殿堂入り」を果たした。 近年はいくよさんが亡くなった後、ユニットを組んだこともある中川家ら後輩の活躍を楽しみに過ごしていたという。22年4月のなんばグランド花月で開催された吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」での出演が最後の舞台となった。 後輩たちに舞台衣装の靴やスーツをプレゼントしたり、食事をごちそうしたりと後進育成にも尽力。毎年3月3日に2人が中心となって、女性芸人を集めて開く男子禁制の親睦会は、20年続く吉本興業内の恒例行事だった。 後輩芸人のシルクは、SNSで「20年来の、親しいマネージャーに看取られて、旅立たれました」と最期の様子を明かした。相方・いくよさんは、15年5月28日に胃がんで亡くなっている。くしくもコンビで1日違いの命日となった。 ◆今くるよ(いま・くるよ、本名・酒井スエ子=さかい・すえこ)京都府出身。1970年に今喜多代さんに弟子入り。その後、高校時代の同級生で同じソフトボール部だった今いくよ(15年死去)と「今いくよ・くるよ」を結成。体を張った軽妙な掛け合いで人気を集め、女性漫才師のパイオニアとして劇場やテレビ、CM、映画など多方面で活躍。81年に「上方お笑い大賞」金賞、82年「花王名人大賞」で最優秀新人賞、84年に「上方漫才大賞」の大賞を受賞。