今、ほとんどの日本人は「無宗教」と答えるが… 歴史的に繰り返される「宗教ブーム」と不安な世の中の“相関関係”
カルトにハマって生きざるを得ない人間は「必ず一定程度いる」
ちざわりんさんは、南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経が一世を風靡(ふうび)した戦乱の時代なら宗教の意義は大きかったんでしょうけど、現代ではどうなんでしょうね、と語る。 ちざわりん エホバの証人の場合は、核家族化の時代の受け皿になっていたと思うんです。でも宗教がもてはやされる時代は終わりましたからね。最近のニュースを見ていると、今後は陰謀論、参政党、反ワクチン、Qアノンなどが栄えるのではないかという気がします。 横道 あとはネトウヨもですね。 ちざわりん いまから20年ほど前、同僚の友人宅に行ったとき、小6の男の子の毛筆の書が貼られてあって、「中国死ね」と書かれていたのを見て、衝撃を受けたことを覚えています。 私も20世紀初頭に、初めてネット右翼の後輩たちと出会ったときには、かなりの衝撃を受けた。 ウリウさんは、大学生のときにバブル時代だったが、「みんなで豊かになっていく」という世間の発想は「カルト宗教のように狂信的だった」と振りかえる。「みんながまともになっていく」という考え方自体に無理があり、世の中になじめない人を脱会支援などで救いだそうとするのは正義なのだろうか、と問う。 「特殊な考え方が許されない社会って怖くないですか」とも語る。むしろ、おかしな人がウヨウヨいて、その上でうまく回っていくのなら良い世の中で、カルトにハマって生きざるを得ない人間は必ず一定程度いると思うのだと考える。 ウリウさんにしても、若いときには親鸞会がなかったら生きていけなかったと、いまでも考えている。統一教会にしても、この宗教がなかったら生きていけない人たちはいるはずだ。じぶんたち一般社会にいる側が認めて、対話していくことが大事だと語る。 (終)
横道 誠