ゴールデンボンバー・鬼龍院翔「僕らは時が経つほど面白くなるバンド」
【音楽通信】第160回目に登場するのは、2024年で結成20周年というアニバーサリーイヤーを迎えた、唯一無二のエアーバンド「ゴールデンボンバー」のボーカル、鬼龍院翔さん! 【画像】黒が映える美麗な姿! 鬼龍院翔さんのショット集はコチラ。
「ゴールデンボンバーがあって本当によかった」
【音楽通信】vol.160 ゴールデンボンバーは、鬼龍院翔さん(Vo)、喜矢武(きゃん)豊さん(G)、歌広場淳さん(B)、樽美酒研二さん(Dr)の4人からなる“ヴィジュアル系エアーバンド”です。 2009年発表の「女々しくて」はカラオケランキング連続1位の歴代新記録を樹立し、同曲でNHK紅白歌合戦へ4年連続出場を果たしました。インディーズシーンで活躍しながらも、大規模なライブツアーやテレビ出演ほか活動は多岐にわたり、シングルとアルバムともにチャート初登場1位に輝くなど、インディーズ史上初となる記録も獲得しています。 さらに、2024年にはバンド結成20周年を迎えたゴールデンボーンバー。7月24日にニューシングル「イイね」をリリースされたということで、フロントマンの鬼龍院翔さんにお話をうかがいました。 ――2004年に結成され、今年20周年を迎えた心境はいかがですか。 ファンのみなさんが応援してくれたから、20年間、バンドが続いているということを実感しています。ただ音楽がやりたいだけなら、お仕事にならなくても、音楽だけを趣味で続けていくことができる。けど、もしもこんな変なバンドを応援してくれる人がいなくなったら、バンドはやめますよ。でも、みなさんが支えてくれているから、変なことをやっても、これで20年も続けてこられました。僕はいつも100点の活動を目指すよりも、70点ぐらいのものでも世に出していいから、続けていくことが大事だと思っています。 ――そんなゴールデンボンバーの要となる鬼龍院さんですが、そもそも幼い頃はどんな音楽にふれていましたか。 いわゆる学校でふれる音楽ではなく、自分自身で「いい音楽だな」と意識した音楽は、小学校1年生の頃に聴いたCHAGE and ASKAさんですね。当時大ブレイクしていて、家族や親戚も好きで、みんなで家のCDコンポで聴いていた記憶があります。 ――鬼龍院さんはギター、ベース、ドラム、ピアノなど一通りの楽器の演奏ができるかたですが、早くから楽器を習っていたのでしょうか。 いえ、子どもの頃は、音楽に関してまったく興味がなかったんです。父は音楽を聴かない仕事一筋というタイプでしたし、両親から僕に音楽をさせようということもなく、どちらかというと健康のことを考えて、水泳やサッカーをやりなさいという感じでした。ただ、母はミーハーなんですよ。当時は沢田研二さんが好きで、いまは嵐さんや堂本光一さんが好きでファンクラブにも入っていましたし(微笑)。だから、子どもの頃は、スターが好きな母が持っていたカセットテープに入っていた歌謡曲やレコードを一緒に聴いていましたね。 ――昔から歌はお上手だったんですか? いえいえ、むしろ歌には苦手意識がありました。ただ、成長していくにつれて、バンドに漠然とした憧れを持つようになってきて。それで小学校6年生ぐらいのときに、初めてギターを買いました。練習していずれバンドを組むときは、ギターとして加入しようと思っていたから。でも、たいして真面目に練習しなかったので、全然上達しなかったんですけど。 中学生になってから、ふざけて歌ってみたことがあったんです。すると、意外と歌って面白いなと感じて。「僕はボーカルでいいかもしれない」と一瞬思いました。それからは、軽音楽部でバンドをやりたいから、軽音学部のある高校に行ったんですよ。ギターとして軽音楽部に入って、バンドを組んで、JUDY AND MARYなどのカバーをしていました。それなりに楽しかったです。 ――高校を卒業してから、吉本興業のお笑い芸人の養成所NSC東京に行かれたと以前お話をうかがいましたが、音楽の道へ行こうと思ったのはいつ頃だったのでしょうか。 19歳ぐらいのときです。NSCに1年間通って、芸人になろうと思っていたけど絶対に無理だと確信したときに、「どうしよう」と。そうなると、バンドもやりたかったから、「音楽やるか」と思って始めました。だから、これで行くぞ! という覚悟もなかったので、絶対そんな決心で売れないよ、というところがスタートです。 ――それがもう20年というアニバーサリーイヤーを迎えました。 そうですね。音楽を始めたのはネガティブな原動力でしたが、その頃の僕は、将来の夢なんてポジティブに考えられるような状況ではなくて、本気で死んでもいいと思っていました。そんななかに、バンドがあった。だから、死ぬことはいつもできるし、それなら1回、本当に死ぬ気でバンドをやってみようって思ったんですよ。音楽で成功しようという原動力ではなく、後悔しないように、やるだけやってみようと。そうしているうち、いつしかファンのかたができたり、事務所に所属したり。 活動していくなかで、僕がくじけそうになったときに、当時のマネージャーから「あなたが辞めるって言ったら、私が食っていけないから、人殺しって叫ぶわよ」と言われたことがあって。その言葉を聞いて初めて「そうか、事務所を支える存在になっていたんだな」と実感したんですよね。そうなってくると責任感も生まれてきて、一応バンドのリーダーなので、「ちゃんと音楽で食べていこう」とだんだんと思うようになりました。 ――ネガティブなマインドからバンドをスタートして、年々活動していくなかで、マインドの部分ではより変化したところはありましたか。 最初の頃は、どうせ売れないし、と悲観的で。自己評価はゼロですし、そのときから作詞作曲をしていますが、自分の曲にいいところがあるなんて思いもしないし、言ってくれる人ももちろんいないし。でもいまは、「ゴールデンボンバーというバンドの存在があって本当によかった」と感じています。だから、これからもバンドを守っていかなくてはと思っていますね。 ――では鬼龍院さんから見て、メンバーのみなさんは、昔といまで変化を感じたところはありますか? 最初は、ギターの喜矢武くんは、全然ふざけていなかったんですよ。ふざけられなかったというのか。でもどこかの時点で自分の殻を破って、いまではけっこうふざけてくれるようになりました。あとのふたりはあまり変わらない印象ですが、歌広場は加入当時大学生だったんですけど、いまも大学生みたいだし、何も成長していないと思います(苦笑)。 樽美酒は昔からもうできあがっていましたね。でも、彼はどうにか自分のキャラクターをポップなものに、いいものにしようと、メイクもだんだん変わっていって。最初のメイクはちょっと怖かったんですよ。握手会でお子さんに泣かれたこともありますし(苦笑)。どんどんブラッシュアップされています。 ――2024年7月24日にニューシングル「イイね」をリリースされました。先日ファイナルを終えた結成20周年ツアーで初披露されていましたが、曲が生まれたきっかけは? いまの世の中、好きなものを我慢することが多いと感じたことがきっかけですね。僕らがライブをやっているなかで、たとえばファンレターをいただいたときに“2回連続でライブに来てしまって、こんなに来ていいんでしょうか?”というものがあって。お金と時間が許すなら、別に好きなものぐらい過剰摂取していいじゃん! と思うわけです。うしろめたさを感じることなく、堂々と娯楽を何度楽しんでもいいのではないかなと。 昔よりもSNSで情報をたくさん手に入れることができる時代ですし、それは刺激があるだろうけれど、同時にストレスが溜まることでもあるかもしれない。でも、そういったまわりのことに惑わされることなく「とりあえず今日ぐらいは好きなものを食べて、音楽聴いて、楽しい時間にしようよ」と伝えている曲なんです。 そんなことをそろそろ歌詞にのせたいなと思っていたら、この曲のメロディが浮かんできて。曲の前半はビジュアル系っぽく、難しいことを言っているような雰囲気がありますけど、結局それはどうでもよくて、そんなことよりも僕には大好きな音楽と飯があるんだ、と明るく生きようという曲で。曲の前半は現代社会の歪みを表していて、サビの部分では、こう生きたらいいじゃん、とみなさんに提案しているんですよね。ゴールデンボンバーはいつも、曲にメッセージなんて何もないんですけど、「イイね」はメッセージソングです。 ――鬼龍院さんが「メッセージソングです」と言い切ることができる新曲ができたのが、いまのタイミングだったと? 20年やっていて、ポジティブな曲なんてひとつもないんですけど。これだけは初めてポジティブな曲として、みなさんに伝えたいメッセージがありますね。 ――素敵ですね。 曲の後半の歌詞に「イイねイイね~人生楽しいね~!」と、叫んでいるところがあるんですけど、もしも楽しくなくても、「人生楽しいね」と言ってみたら、なんかちょっと楽しくなりますからやってみてください、ということも僕は言いたいんですよ。 もちろん楽しいこと以外のほうが多いというのはわかっていますが、「イイねイイね~人生楽しいね~!」とこんなに大声で歌っていたら、“生まれただけラッキーだよ”なんて気持ちになれませんかね? と思いながら歌っています。 ――カップリング曲「一曲目」はヘビーでカッコいい曲ですね。 ゴールデンボンバーはエアーバンドなので、どんな曲も、楽器隊の心配をせずに表現できるのがいいところです。この曲はビートも速いし、ギターのフレーズもすごく難しいんですけど、それはレコーディングのときにプロのギタリストのかたにどうにか弾いてもらって。実際にバンドのメンバーで演奏するとなると大変な楽曲なんですが、そういったところでも躊躇せずどんどんやっていけるのも、自由でいいところですね。 ――そもそも鬼龍院さんはどのように曲を作っているんですか? 「イイね」のメロディは、寝起きに頭の中に流れてきたんです。夢の中で誰かが歌っていたんだと思うんですが、それを携帯のボイスメモに吹き込んで保存しておきます。ほかの曲にしても、仕事中とか、ふとしたときに頭の中でメロディが流れるから、断片的に出てくるフレーズを1曲としてフルサイズにしようと形作っていって。ギターで音をあてながら、ノートに曲の構成やコード進行を書いていくんです。昔からずっと変わらず、紙とボールペンとギターでほぼ曲を構成したら、パソコンのDTMに楽器を打ち込んでいくという感じですね。 ――ライブは、歌と演劇と映像とのバランスが絶妙です。エンターテインメントショーとしても見応えのあるステージになっていますが、そのさじ加減はすごく難しいところではないのでしょうか。 難しいです。ライブエンターテインメントというのは、確立された形や時間があるジャンル。そういったなかで「人と違うことをやりたい」という道を選ぶのであれば、その配分は誰もモデルがいないので、そこは自分たちでやってみてダメだったとか、もっとこうしたほうがよかったとか、いただいた反応も参考にして、いっぱい失敗もしながら調整していきます。さじ加減は本当に難しいのですが、何度も繰り返してライブをやってきたうえでいまの配分になっているので、ライブはみなさんの反応をしっかり見てきた歴史ともいえます。 ――結成20周年ツアーでは、メンバーの物語を描いた映像に、岡崎体育さんがサプライズ登場していましたね。 思いついたシナリオに、体育くんが出演をOKしてくれました。音楽活動以外に、大河ドラマにも出演していて、いろいろな面を持っている人ですよね。ワンマンライブを何度も見させてもらっているんですけど、彼が言葉をかんだり、詰まったりするところを見たことがないんです。言語を話すことを司る能力がすごく発達していて、それでいて作詞作曲編曲もできて、そして面白く見せることもできる人です。 ――2025年には、ゴールデンボンバーの20周年アリーナライブとして、1月7日に「旧作-kyusaku-」、8日に「新作-shinsaku-」を横浜・ぴあアリーナMMで開催されます。2日間ありますが、メニューはまったく違うものに? 全然違う内容に変えます。長年追いかけてくださっているファンのかたからすると、どう想像していいかわからない“新作”より、“旧作”と言われたほうが既発曲も聴けそうだと想像がつきやすいので、1日目のほうが魅力的に見えるんじゃないかと思うんです。そう考えると“旧作&旧作”とか、“旧作&超旧作”の2日間にしたほうが、たくさんのかたに来ていただけるかもしれないですよね。 それでも、“旧作”と“新作”としてライブを打ち出したのには、とても大きな意味がありまして。20年目にして、新しいことをやりたいと思いついたんです。“新作”と掲げたライブでも、「これは面白くできる」という計算ができました。これまでのゴールデンボンバーは、「内容なんてまだ何も考えていませんけどタイトルだけ先に付けました」という感じでしたが、今回“新作”という名前をつけたのは、そこに表現したいものがあるからです。 そしてライブをしてまた反応をいただいて、今後ちょっとずつ変えていかなきゃいけないこともあるはずだし、100%の成功はしないはず。だから、アリーナライブの2DAYSは半分は今まで通り、半分はチャレンジなんです。楽しみですし、ファンのかたも、ぜひ期待してほしいですね。 「僕らはずっと全力でふざけていく」 ――お話は変わりますが、音楽活動でお忙しい日々だと思いますが、ライフスタイルで気をつけていることはありますか。 食事には気をつけていますね。GACKTさんを尊敬しているので、同じように食生活も見習って、なるべく1日1食の生活にしたら太らなくなりました。とはいえ、ライブで地方に行って、「ここのパン屋さんはとてもおいしい」とか、「これが名物だよ」と教えてもらったりすると、「それ1個もらっておこうかな」と食べたりはしますけど。ただ、ライブがある日は、完全に1日1食ですね。それはもうルーティーンになっていて。 ――食べすぎると、逆に調子がよくないというようなことも? そうなんです。僕、しっかりと食べてからライブをやると、体が重く感じて、呼吸のスペースが減っているような気がするんですよね。アスリートのかたも食べると消化にエネルギーを使うからパフォーマンス能力が落ちると言っていたりと、食事についてはいろんな話を聞くので、僕は自分の体で試したんです。朝食と昼食を食べてからライブをやってみたり、食べかたの工夫をしたり。 試した結果、ライブまでは何も食べないほうが、ステージで一番元気に動けたんです。ただ、ライブが終わった夜はいっぱい食べるんですけど、すごく動くので、やせていきますね。だけど、健康診断も問題なく、健康です。 ――今日の撮影のときに着ていた黒のお衣装もカッコよくて似合っていらっしゃいましたが、普段はお洋服を選ぶときに意識していることはありますか。 普段はゆったりとしたものしか着ないですね。バンドを始めたばかりの売れない頃は、プライベートでもいかにもバンドマンという格好を意識して、細めの黒いズボンとか履いていたんですよ。バンドマンという生き物は冬でもカッコよかったら寒い服でも平気だし、暑いときでも分厚い革ジャンを着る生き物。撮影やライブのときも“バンドマンの美学”として、それはいいんですよね。 でも、音楽活動が順調になってからは、お仕事でいっぱいバンドマンらしい服を着られるようになって。そういう反動で、いま普段の服はゆったりとしたものが楽なので選んでいます。ユニクロとか無印良品とか。タミヤTシャツをよく着ているんですけど、本当に肌触りがいいんですよ。 ――ちなみに、6月のお誕生日で40歳になられましたが、個人的に今後やりたいことは? 40代にやりたいことと言ったら……無理やり挙げるとしたら、またここから10年かけて50代になるまで、ギリギリ人に気づかれないぐらいの整形を何度もやりたいですね。大幅にやっちゃうとバレちゃうので。そういうふうにしていかなきゃいけない年代に差し掛かったのかなと、40代になって思います。 ――アンチエイジングという意味でしょうか? そうですね。“ステルスアンチエイジング”です。まだやっていないんですけど、冗談……ではないんですよ(笑)。前向きにやっていこうかなあと思って。世の中では、年相応の老け方をしていったほうが美しい、というお話もありますよね。でも、僕が思い描くゴールデンボンバー像、もっといえばロックバンド像としては「あの人、時が止まってる!?」となっていってほしいんですよ(笑)。だから、そのままの姿を否定するわけではなく、僕個人のことにあてはめた場合に、年相応に老けた姿を見せようとはならないなと。なので、40代は小さな整形をしようかな、というところです。 ――いろいろなお話をありがとうございました! では最後に「ゴールデンボンバー」として、今後の抱負をお聞かせください。 バンドが20年を経過して、ここからだんだんと「まだゴールデンボンバーやってるんだ!?」というのがもっと面白くなってくると思うんですよ。前までは30歳ぐらいのお兄ちゃんたちがふざけている、という見られ方をしていて。でも40歳になってもふざけていて、50歳になってもふざけている、という状態になってくると、もういい年なんだから、とあきれる人もいるかもしれない。 でも、僕らはずっと全力でふざけていくので、みんながもう根負けすると思うんです(笑)。その状態になってくると、みなさんの心の中で、いなくなったら寂しくなるはず。そこまで行けるようにがんばりますので、みなさんどこかで僕らを見かけたら、温かく見守ってください。時が経つほど、きっと面白くなる。今後も期待していてほしいですね。