『虎に翼』はこれまでの朝ドラと何が違うのか “ほんの少しずつの変化”が与えるリアリティ
“ほんの少しずつの変化”がリアルで恐ろしい『虎に翼』
本作における戦争は、ある日突然爆撃が始まり街が燃え……といったものではない。まだ猪爪家が都心の半洋風の家に暮らし、寅子の同窓生を招いて饅頭を作ったり、再びの見合いに向けて台所でクッキーを焼いていた時分から日本が戦争に突き進むラジオの音声や新聞記事、戦意高揚のための街の立て看板が幾度もシーンに差し込まれた。寅子のカラフルでキュートな着物は季節が変わるごとに地味で質素になり、いつも手の込んだ料理が並び、客用の洋食器も多く所有する家族の食卓もどんどん貧しくなっていく。最後はかぼちゃを混ぜたご飯や薬指ほどの小魚がごちそうだ。『虎に翼』においての戦争はほんの少しずつ、だが確実に人々の生活に忍び寄り、日々の小さな潤いや楽しみ、大切な人の命を奪っていくものとして表された。 この“ほんの少しずつの変化”がリアルで恐ろしい。都心の自宅を軍に接収される時ですら猪爪家の誰もが不満を口にせず、どんな時も、相手が誰でも「はて?」とその不条理と戦ってきた寅子でさえ国の施策に怒らない。蛙をいきなり熱湯に放り込めばびっくりして飛び出すが、水から火にかけ少しずつ温めれば蛙はその変化に気づかずいつの間にか茹る。『虎に翼』で描かれた社会情勢の変化と戦争への突入はまさにこれだった。 終戦から1年と数カ月。母・はる(石田ゆり子)から「自分だけのために使いなさい」といくばくかの金銭を渡された寅子は店で食べることができなかった焼き鳥の包みを持ち、優三と「美味しいものはふたりで」と笑い合った河原に座ってその包みを開ける。 この、焼き鳥のたれで汚れた新聞紙に書かれた日本国憲法の条文を読み、優三の「寅ちゃんが後悔せず、心から人生をやりきってくれること、それが僕の望みです」との言葉を思い出して大きな声を上げて泣いたその日が寅子にとっての終戦だった。だから昭和20年8月15日の様子は描写されなかったのだ。玉音放送が流れても寅子にとっての戦争はまったく終わってはいなかったから。 さて、第10週からは寅子の法律家としての日々がまた始まる。あの河原で新たな憲法の条文を読んだところで物語は第1話へと繋がった。弁護士事務所を辞した日から1度も出なかった「はて?」も復活するはずだ。同じ場面なのに、初回放送を観た時とはその深みがまったく異なって映るのは、寅子の歩んだ地獄の道のりを私たちもこの9週間伴走してきたからだろう。 新たな日本国憲法の公布と施行で本当に誰もが自由に、そして平等に人生を選べる時代になるのだろうか。寅子の戦いはまだ終わらない。
上村由紀子