松本伊代、センチメンタル・ジャーニーを「頑なに歌わなかった」過去… 転機は産休中に観たテレビ番組
「やっぱりこうやって数字を見ても、他の曲とケタ違いなんですね~。『センチメンタル・ジャーニー』は、まず、湯川れい子先生の歌詞が手元に届いたんです。筒美京平先生の作品としては、珍しく“詞先”(詞が先に作られる)だよ、と言われました。最初は“伊代はまだ16だから”という部分が恥ずかしいなって思っていたのですが、京平先生の元へレッスンを受けに行って、実際にメロディーにあわせて歌ってみると、まったくそんな感じがなくて、“素敵な曲を頂いた!”って嬉しかった記憶がありますね」 デビュー曲にして大作曲家の楽曲を歌うことになったことについては、 「私はテレビっ子だったので、京平先生の楽曲にすごく親しんでいたことは確かですね。南沙織さんや麻丘めぐみさんなど、歌謡曲を聴いていたので、知らない間に好きになっていた作品が多いんですよ」 2021年に、筒美京平作曲作品をカバーした(一部セルフカバーを含む)アルバム『トレジャー・ヴォイス』を発売したのは、こうしたバックグラウンドも影響したのだろう。しかし、そんな大好きな筒美京平作品かつ最大のヒット曲である本作を、遠ざけていた時期があったそうだ。 「20歳を超えたあたり、ちょうど恋愛三部作(1986年から’87年のシングル『信じかたを教えて』『サヨナラは私のために』『思い出をきれいにしないで』)を歌っている時期です。16才の曲を歌うのが、恥ずかしくなってくるように感じていて。デビュー当時、記者の方から“16才って書かれているけれど、何才まで歌うつもりですか?”ってよく聞かれていて、“どうしてこんな質問をするんだろう?”って思っていたのですが、遂に自分でもだんだん恥ずかしくなり始めたんですね。テレビ出演時にもこの歌だけ歌ってくださいと言われることが多く、“他にも良い歌がいっぱいあるのに。もっと新しいのを歌わせてほしい”って歯がゆかったんです」 それゆえ、コンサートでも意図的にセットリストから外していたと言う。 「今は、その頃に来てくださったお客様に謝りたいくらいです! 歌のお仕事が少なくなった頃も、イベントで歌うチャンスはあったものの、頑なに『センチメンタル・ジャーニー』は歌わなかったんです」 心境の変化は、1993年の結婚後に訪れた。 「出産でお休みをいただいていた時に、『夜のヒットスタジオ』(レギュラー放送は1990年に終了)のスペシャル版をテレビで観ていたら、過去のヒット曲を歌っている出演者の皆さんがすごく輝いていたんですよ。それで“私にもあんな素敵な曲があるのに、なんて勿体ないことをしてしまったんだろう”って反省したんです。たとえ昔の曲でも、まったく古い感じはなく、皆さん、今の魅力を出していたんです。考えてみると、演歌歌手の方々も、代表曲を歌い続けてらっしゃいます。それは、お客様みんなの望みを、客観的に見ることができているからなんですね。 そこからは、『センチメンタル・ジャーニー』を歌ってください、と言われたら一切断らずに歌うようにしています。最近も、アサヒ飲料『十六茶』のCMで、新垣結衣さんが♪結衣は朝、十六茶から~、と替え歌で歌ってくださるなど、やっぱり、曲のチカラは凄いですよね」