オリックス・モレルの2発がフイに。まだある雨で消えた幻の本塁打の悲劇
楽天対オリックスが21日、仙台のコポスタ宮城で行われたが、3回途中で楽天が5-4でリードした状況で降雨ノーゲーム。4本塁打がすべて幻に終わった。、オリックスのブレント・モレル内野手(29)は、1回二死二塁からバックスクリーンへ、来日85打席目して初アーチを放ち目覚めると、3回にも今度は左中間に2打席連続のソロアーチ。だが、その裏雨が強くなり、31分後にノーゲームが宣告されモレルの2本と、糸井嘉男(34)の4号、楽天のウイーラー(29)の3号ランと、合計4本が幻の本塁打となった。 モレルはこの日、29歳のバースデー。結果的に最悪のバースデーとなったが、「こればかりは自分の力でなんともならない。残念だけど仕方がない。中断中はなんとか再開を願っていたけどね。メジャーも含めて、こういう経験は初めてだ」と、複雑な表情を浮かべていた。 降雨ノーゲームによって複数アーチが幻に終わったのは、最近では2014年7月6日にマツダスタジアムで行われた広島ーヤクルト戦での広島、丸佳浩の12号、エルドレッドの29号、ヤクルト、川端慎吾の8号の3本が、4回表終了時点で雨が激しくなり幻に終わった例がある。 過去の記録を調べると、ドーム球場がない時代には、満塁本塁打が幻に終わったケースもあって、1980年7月29日の広島対ヤクルト戦(広島市民球場)で広島のジム・ライトル、1982年5月3日の近鉄対阪急戦(藤井寺球場)では、阪急のウェイン・ケージが、4打点をフイにする悲劇を味わった。ライトルは広島で6年プレーして通算166本塁打、ケージは2年だけのプレーだったが、それぞれ31本塁打を放っている。 1985年9月19日の西武対ロッテ戦(秋田県営球場)では、1回に西武の石毛宏典、大田卓司、広橋公寿の3人が本塁打を放ったが、2回に雨天ノーゲームになった例もある。 メジャーでは、2003年5月11日のカブス対カージナルス戦(リグレーフィールド)でカ軍、プホルスの満塁弾、マルティネスの2発など、合計7本が水に流れた試合もある。 降雨ノーゲームによる幻の本塁打の悲劇はまだあって、1972年に東映の大杉勝男は、40本塁打を記録したが、41本を打った阪急の長池徳士に1本及ばす、3年連続となる本塁打王のタイトルを逃した。実は1972年7月11日の南海戦で、降雨ノーゲームで1本、幻の本塁打があったのだ。終わってみればの不運な出来事である。 ちなみに868本の世界記録を持つ王貞治氏は、世界で最も本塁打を打ちながら、降雨ノーゲームで幻に終わった本塁打は1本もない。「私は運が強いんだ」と王氏が語っていたことがあるが、雨で消えた幻の本塁打は、もちろん年俸査定にもプラスされず、まさに不運の象徴としか言いようがない。