大岩監督(清水商高出)、難関打破へ手腕発揮【サッカー男子U-23日本代表パリ五輪出場決定】
「大岩ジャパン」が大きな壁を越えた。サッカー男子U―23日本代表は29日(日本時間30日)、U―23アジア・カップ(ドーハ)の準決勝でイラクを下して決勝に進出。上位3カ国に与えられるパリ五輪切符をつかんだ。大岩監督が大会前から「勝ち抜けば戦術、戦略を超えた一体感が生まれる」と強調してきた難関を突破。56年ぶりの五輪メダルへ、若き日本代表が大きく加速した。 五輪には7大会続けて出場しているが、開催国枠があった東京五輪を挟み予選を戦うのは2大会ぶり。気温35度超の猛暑、ピッチ環境の違い、対戦国のなりふり構わない姿勢―。鹿島アントラーズ監督時代の2018年にアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)を制覇した指揮官は、アジアの厳しさを熟知している。年明けにはA代表がアジア・カップ準々決勝で敗退。難しい戦いになることを再確認し、選手に「過去の五輪最終予選も簡単に勝った試合はない。プレッシャーと大きな責任感の下で戦わなければならない」と強い覚悟を植え付けた。 実際にパリへの道は険しかった。1次リーグは初戦の中国戦で前半早々に退場者を出して辛勝スタートとなり、第3戦の日韓対決に敗れ首位通過を逃した。負ければ五輪出場が絶たれる準々決勝も開催国のカタールを相手に延長戦までもつれ込んだ。それでも、23人をフル活用して粘り強く勝利をもぎ取る手腕を発揮。五輪出場を決めるホイッスルを聞き届け、「ほっとした」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。 22年春のチーム発足から選手に伝え続けた言葉がある。「A代表経由パリ五輪」。日本サッカー界が掲げる「50年までのワールドカップ優勝」という大目標から逆算し、育成年代の突き上げを求めてきた。まだA代表に定着した選手はいないが、意識は変わった。今大会も主力の欧州組を招集できない中で中2日の強行軍を勝ち抜き、選手層の底上げを示した。ウズベキスタンとの決勝は5月3日(日本時間同4日)。アジア王者の称号を勝ち取り、パリに乗り込む。 大岩剛(おおいわ・ごう) 1972年6月23日生まれ。静岡市清水区出身。清水商高、筑波大を経て名古屋グランパス、ジュビロ磐田、鹿島アントラーズで活躍。2018年には鹿島監督としてアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)を制し、アジア・サッカー連盟(AFC)の年間最優秀監督に選出された。21年からパリ五輪世代の代表監督を務める。51歳。
静岡新聞社