トヨタがガチで作ったら……想像すると欲しい気がする! なぜトヨタはバカ売れジャンルの「軽自動車」を作らないのか?
トヨタが軽自動車をほとんどやらないワケ
トヨタは軽自動車をほとんど扱わない。2011年9月に、ダイハツムーヴコンテのOEM車をトヨタ・ピクシススペースの車名で発売したが、バリエーションは増えていない。現時点でトヨタが扱う軽自動車は、ミライースのOEM車になるピクシスエポック、ハイゼットトラック/カーゴを使ったピクシストラック/カーゴのみだ。 【画像】日本で一番売れているホンダN-BOXなどの画像を見る ちなみに1995年頃は、日本で新車として売られるクルマの約25%が軽自動車だったが、1998年に軽自動車規格が今と同じ内容に変更されると、販売比率が増えた。2000年の軽自動車比率は31%、2005年は33%、2010年には35%と増加している。 そのために、たとえばトヨタ車ユーザーの子供が運転免許を取ると、軽自動車の購入を希望するケースも多くなった。とくに軽自動車の販売比率が高い地域では、トヨタの販売会社が自社ブランドの軽自動車を求めたこともあり、2011年にピクシススペースの取り扱いを開始した。 日産が軽自動車を扱うようになった事情も似ている。2000年代に入ると、日産の小型/普通乗用車を所有するユーザーの22%が、軽自動車をセカンドカーとして併用することがわかった。そこで日産は、2002年に、MRワゴンのOEM車をモコの名称で販売するようになった。 ただしトヨタと日産では、軽自動車に対する力の入れ方が異なる。日産は軽自動車に力を入れて、2024年1~4月に新車として国内で販売された日産車の40%を占める。対するトヨタの軽自動車比率は0.9%だから大幅に低い。 トヨタの軽自動車比率が低い背景には、まずトヨタの国内における市場戦略の歴史がある。トヨタは1955年に高級乗用車の初代クラウンを発売して注目を集め、1957年にはファミリーカーの初代コロナ、1961年にはコンパクトで低価格の初代パブリカを発売した。 このなかで初代パブリカは、シンプルな作りが災いして、低価格でも売れ行きが伸び悩んだ。そこで1966年に、コンパクトながらも内外装を上質に仕上げた初代カローラを発売している。当時のカローラの開発者は「初代パブリカは成功作とはいえず、好調に売るには、低価格でも上質なクルマ作りが必要だと気付かされた。そこで初代カローラを開発した」と述べている。 そのために1966年以降のトヨタは、カローラをベーシックかつ最多販売車種に据えて、その下にエントリーカーとしてパブリカ(のちのスターレット/ヴィッツ/ヤリス)を位置付けた。軽自動車はパブリカやスターレット以上に薄利多売だから、トヨタは積極的には手掛けていない。軽自動車の比率を高めた日産とは対称的だ。 また1960年代には、日本の自動車メーカーは、国際競争力を問われるようになった。これを受けてトヨタは、銀行の推奨もあり、1967年にダイハツと業務提携を結んでいる。このダイハツは第二次世界大戦前から3輪商用車を中心に手掛け、戦後は1957年に3輪軽トラックのミゼットを発売してヒットさせた。 軽乗用車も、1966年に初代フェローを発売して、1970年前後には好調な売れ行きを誇っている。このようにダイハツは1960年代から軽自動車が得意だったため、業務提携を結ぶトヨタは、小型/普通車で売れ行きを増やした。
渡辺陽一郎