「防犯カメラは欠かせない」「住人同士の窃盗が多々ある」”混沌のディープタウン”横浜市寿町を歩いた
「日雇い労働者で賑わったのは遠い昔。今や寿町は、生活保護と介護の街だよ」 東京の山谷、大阪の西成と並ぶ「日本三大ドヤ街」として知られる横浜・寿町を歩くと、住人たちからはそんな声が聞こえてくる。 【画像】簡易宿泊所が立ち並ぶ 横浜市寿町… 広さ4畳ほど「内部写真」 繁華街である関内や横浜中華街、みなとみらいからも徒歩圏内。幅200m、奥行き300mのコンパクトなエリアに、110を超えるドヤと呼ばれる簡易宿泊所(以下・簡宿)が立ち並んでいる。寿町を60年近く見守り続けてきた、「ことぶき酒店」の佐伯秀美さん(74)が言う。 「昔は港湾関連の日雇い労働者で賑わっていたけど、今は港の仕事も機械化が進んで人手がいらず、日雇い仕事がほぼない。街もずいぶん落ち着きましたよ」 寿町から2㎞も離れていない黄金町で飲食店を営む高山さん(仮名・50代)は、独特の言い回しで今の寿町を表現した。 「寿町は高度経済成長時代から、大都会横浜の労働力として日雇い労働者を一手に引き受けた街です。黄金町には戦後から残る赤線地帯があったけど、『売春撲滅』を掲げ、’05年に警察、行政、民間が一体となり赤線を一掃し、街が変わった。しかし、寿町は″変えられなかった″。再開発の噂もあがったけど、簡宿がなくなれば、労働力を欲していた企業、行くあてがない″住人″、その受け入れ先など困る人達が出てきてしまうからです」 どういうことか。横浜市健康福祉局の寿地区対策担当が作成した「寿地区社会調査」によれば、’23年時点での簡宿で暮らす″住人″の数は5340人。そのうち生活保護受給者は4981人と、実に9割以上にも及ぶ。しかも″住人″における、65歳以上の割合は52.8%という「高齢化ドヤ街」なのだ。平成が始まった’89年時点では、生活保護受給者は1652人に留まっていた。だが、バブル崩壊後の’94年には3413人へと倍増。以降、生活保護受給者が定着した。 寿町は月初めが最も活気づく。生活保護費の支給が行われるからだ。診療所には長蛇の列ができ、競艇の場外舟券売り場は昼間から賑わいをみせる。職安跡地に新設された「横浜市寿町健康福祉交流センター」広場にはカップ酒片手に談笑する人が現れ、スナックからは歌謡曲を上機嫌に歌う声が店外に漏れていた。 現在、9割以上の簡宿が生活保護受給者用の住居となっており、一般客は宿泊できない。料金はどこもほぼ同じで、「一日1700円~」という張り紙があちこちに貼られていた。 筆者は街にわずかに残る一般客向けの簡宿に宿泊した。部屋は4畳ほどで、布団を敷くと足の踏み場はほとんどない。隙間風が気になり、暖房を入れても狭い部屋はなかなか暖まらなかった。 ◆「防犯カメラは欠かせない」 翌朝6時に職安へと向かった。待っていたのは高齢の男性が5名。多くが作業靴に着古したダウンジャケットという出で立ちだ。そのうちの一人、初老の男性が職員と言葉を交わし、外にいた手配師とおぼしき男性と話し込んだ後に肩を落とした。真偽は定かでないが、かつて100人の従業員を抱える社長だったという秋山さん(仮名・60代)は早口で筆者に訴えかけた。 「これでも元は社長なんです。でもリーマンショックで会社が潰れた末、寿町に流れ着いた。生活保護を受けている人、と世間から見られるのは辛いですね……」 仕事のシステム化や、派遣社員など非正規雇用者の増加によって日雇い労働者の受け入れ先が減り、仕事が見つからない状況が長期化。その間に″住人″は高齢化していく。こうして寿町では、生活保護受給者の増加と高齢化が同時に進んでいるのだ。 寿町のことならこの人に聞け、と街中でその名が挙がる人物がいる。簡宿・扇荘新館の帳場さん(管理人)、岡本相大さん(72)だ。扇荘を訪ねると、帳場室に招き入れられた。岡本さんは施設内に設置された防犯カメラ32台の映像が映し出されるモニターと向き合っていた。 「(カメラで)物的証拠や映像を残さないとこの街で帳場の仕事は成り立たない。住人同士の窃盗や、部屋の設備が壊されていることが多々あるので」 約200室のうちのほとんどに生活保護受給者が住むという扇荘には、数分おきに訪問者が現れる。岡本さんの仕事は来客対応や、役所から許可を得ての住人の金銭管理まで幅広い(岡本さん曰く「直接渡すと数日で使い果たしてしまうから」)という。19年間、360日ほぼ住み込みで働いてきた理由をこう明かす。 「ここでは24時間、何が起きるか分からないからね。私がこの仕事に就いた頃は、半年の間に6人も部屋で住民が亡くなった。廊下に蛆虫が出ている、と呼ばれて行ってみると、腐敗が進んでガスで膨らんだ遺体があった。腐臭が1週間くらい抜けなくて……。あれは一生忘れられないよ。住民がすぐ建物の備品を壊しちゃうから、持ち出しのお金も多い。正直、儲からないよね」 岡本さんには、簡宿を運営していく上で大切にしていることがある。 「入居時に、住人の犯罪歴や過去は一切聞かないことにしています。強面の住人が集うと、喧嘩もあって気が抜けなかったけどね。ただ、もう何十年と住んでいる人ばかりで高齢だから、最近はずいぶんおとなしくなりましたよ。それは街全体に言えること。介護職の外国人女性も、ずいぶん増えたね」 たしかに寿町では介護従事者の外国人女性を多く見かけた。ヘルパーとして働いているというフィリピン人女性は、どこか陽気な口調で筆者に打ち明けた。 「日本人はこの街で介護するのを嫌がる。過去は知らないけど今はおじいちゃんで楽なのにね。なぜフィリピンやタイのヘルパーが増えたか? 他の仕事よりまだ稼げるし、働きやすいからじゃないかな」 NPO法人「寿アルク」の事務局長で、ヘルパーとしても寿町に関わる中路博喜さん(70)が解説する。 「寿町は『福祉ニーズの高い町』です。今は寿だけで20近い介護・福祉事業者が存在して、年々求められる福祉レベルが上がっている。’06年頃から、治安維持のために支援者や市が協力して、ホームレスの人々に定住型の宿に移ってもらうよう呼びかける活動もしてきました。『だれも排除しないまちづくり』を掲げ、官民一体で動いています」 簡宿で亡くなる住民も少なくない。その隙間には、若者の入居者も見られる。また、街の一角には高級マンションも建設された。寿町は、さらなる変化の時に直面している。 栗田シメイ 1987年生まれ。スポーツや経済、事件、海外情勢などを幅広く取材。著書に『コロナ禍を生き抜く タクシー業界サバイバル』。『甲子園を目指せ! 進学校野球部の飽くなき挑戦』など、構成本も多数 『FRIDAY』2024年3月15日号より 取材・文:栗田シメイ(ノンフィクションライター)
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