『ブギウギ』折り返し地点で幸せのピークを描いた意味 福来スズ子の“真価”はこれからに
スズ子(趣里)が歌を歌うことは、愛助(水上恒司)との愛の生活を捨てること
だが、第64話の時点で、スズ子にはまだ“母”感はない。愛助をかいがいしく面倒見ている様子に母性の強さの片鱗は見えるが……。まっさらな気持ちでドラマを観ている方にはネタバレになって申し訳ないが、本能寺の変で織田信長が命を落とすという情報と同質のものであるとして、ネタバレすると、冒頭の赤ん坊が、愛助との子供であり、父である愛助には先立たれることは、スズ子のモデルである笠置シヅ子の史実を知っていればわかる。 ここから先、スズ子は、ツヤ譲り(?)の母性の強さを見せるようになるだろう。と同時に、先述した利他の心で芸能活動を行っていくだろう。それを決定づけるのが、第64話の防空壕のシーンであった。 三鷹にも空襲があって、スズ子と愛助は防空壕に逃げる。不安や焦燥からギスギスした人々の心をスズ子が歌で癒やす。愛助は、彼女の歌が、自分ひとりのものであってはいけないことをわかっている。愛助に「みんなスズ子さんの歌で正気に戻っていく。スズ子さんの歌には力がある」と言われ、スズ子は自分の宿命を認識するのである。 スズ子が歌を歌うことは、自分の個人の幸福ーー愛助との愛の生活を捨てることなのだ。「今がいっちゃん幸せや」は、彼女が本当は、社会的に人気スターになったり、お金持ちになったりすることではなく、愛する人と一緒に過ごすことを求めていたということであろう。だから、彼女は、「スター・福来スズ子」の座に未練なく、さらには、自分に結核が移ることすら厭わず、愛助にへばりつき、ひたすら看病を続けたのであろう。「へばりつく」という響きは、もはやふたりは別々ではなく、同化しているように聞こえる。 年明け、『ブギウギ』後半戦は、幸せのピークから、スズ子がどうなっていくのか。ここからが福来スズ子の本当の見どころになりそうだ。
木俣冬