崎陽軒のスゴさは「革新」と「挑戦」にあり!【みんなが知らない、シュウマイの実力】
新連載【日本シュウマイ協会会長・シュウマイ潤の『みんなが知らない、シュウマイの実力』】第1回 こんにちは。シュウマイ研究家のシュウマイ潤です。みなさん、最近シュウマイを食べたのはいつですか? 多くのかたは、いつ食べたか覚えていないでしょう。 【写真】横浜駅でシウマイを販売する「シウマイ娘」ほか 日々シュウマイを食べ続け、2024年1月現在、食べたシュウマイの種類は累計2000種にも及びそうな私ですが、残念ながらシュウマイの地位がマイナーであることは否定しません。 そのため世の多くの人は、日頃シュウマイを食べたり、シュウマイについて考えを巡らせたりすることはないでしょう。それは仕方ないのですが......その限られた情報とイメージだけで「シュウマイはマイナー」と決め付けられることについては、苛立ちを感じます。 そういう「シュウマイはマイナー」と話す人たちに、改めて私が食べてきた2000種から得た経験や分析結果などを伝えると、ほとんどのかたが「シュウマイの印象が変わった」「シュウマイが食べたくなった」と言ってくれます。 マイナーとは言え、日本におけるシュウマイの歴史は奥深く、特にここ数年はZ世代と呼ばれる人たちも集うような、トレンド的な要素も含む個性的かつ質の高いシュウマイ店も多数出てきています。 そうした「本当のシュウマイの実力」を、世の方々はあまりにも知らない! 逆に言えば、その実力を知る機会が増えれば、マイナーと言われるシュウマイの地位が少しでも変わっていくのではないかと考え、この連載を始めたいと思いました。 「本当のシュウマイの実力」を知ってもらう上で、もっとも分かりやすい事例が崎陽軒です。 崎陽軒は、シュウマイ業界を代表する老舗企業というイメージを持つ人が大半でしょう。ですが実は、常に「革新」「挑戦」を続けてきた『シュウマイ業界の革命児』でもあります。 崎陽軒のスタートは1908年(明治41年)。横浜駅構内の売店として創業します。そして1928年(昭和3年)、今も販売され続けるロングセラー「昔ながらのシウマイ」が誕生します。 もうすぐ100年を迎える歴史の表面だけを見ると、やはり「王道」だと捉えられがちですが、その商品誕生は、当時のシュウマイの常識を覆す「挑戦」そのものでした。 日本でシュウマイが本格販売され始めたのは、当時の横浜・南京町(現在の横浜中華街)の飲食店。突き出しやおみやげにも用いられていたものの、あくまで熱々を食べるものでした。 それを崎陽軒が横浜名物として着目(そもそも横浜は開国前は港町にすぎず、名物料理が不在だった)、列車内でも食べられる「冷めてもおいしい」料理にアレンジ。豚肉、玉ねぎという基本構成の具材に「干した帆立の貝柱」を入れることで、冷めても旨味がしっかり残るようにしました。 さらに、調理の効率を上げるために、グリンピースを具材に練り込み、具材を混ぜ込みやすくしました。これもよく誤解されがちですが、崎陽軒のシウマイにグリンピースは載っていません。"練り込んで"あるのです。 ちなみに、干した帆立の貝柱を入れたシュウマイは少ないながらも存在しますが、グリンピースを練り込んだシュウマイは、崎陽軒以外で見たことがありません。