26歳で実家の製麺所が廃業。奇妙礼太郎が「得意」を伸ばせた理由
昨年、音楽活動25周年を迎えたミュージシャンの奇妙礼太郎。 「カゴメトマトケチャップ」「すき家」「オールフリー(サントリー)」「SUZUKI ラパン ショコラ」などその印象的な歌声で、CM歌唱でも人気を集める奇妙。昨年9月には日比谷野外音楽堂でアニバーサリーライブが大盛況に終わった。2024年7月には、能登半島地震を受けて石川県能登町でチャリティライブ「pray for noto 2024」に出演し、新曲「満天星」も書き下ろした。 「したくないことはやらないようにしている」という奇妙が、“得意”を伸ばして夢を掴んだ軌跡とは? 「世界を変える30歳未満」を選出するForbes JAPAN 30 UNDER 30のアドバイザリーボードを務めた彼に、U30時代の話を聞いた。 ■将来は実家の製麺所? 子どもの時は人前で歌うのが好きとか、そういうことはなかったんです。「将来なにかになりたい」という強い気持ちも特になくて。家でひとりでプラモデルをつくったりレゴで遊んだりする子どもでした。実家が製麺所をやっていたので、最終的にはそこで働けばいいから別にがんばらなくてもいいかなとか、そういう他力本願な感じだったのかもしれないですね。 音楽を聴くようになったのは、小学校高学年ぐらいから。当時、長渕剛さん主演の『とんぼ』(1988年、TBS)というドラマが流行っていて、それがきっかけで長渕さんのCDやカセットテープを聞くようになりました。それから、親が好きだったリトル・リチャードやサム・クックといった、昔のロックンロールやリズム&ブルースも聞いていました。レコード屋に行くのも楽しみの1つで、長渕剛さんのみならず浜田省吾さん、CHAGE and ASKAさん、憂歌団さんとかをよく聴いていました。 中学生ぐらいの時にカラオケボックスができて、初めて友だち5、6人で行ったんです。僕の歌を聞いた友だちたちが褒めてくれたのが嬉しくて。その時、自分は歌うことが好きかもしれないと思ったんです。