/15 第67回大会(1995年) 復興センバツ、初陣快進撃
大会前に阪神大震災が発生した1995(平成7)年の第67回大会。開会式で鷲宮(埼玉)の長谷川大主将が「私たちは全力でプレーし、復興の勇気づけとなる試合をします」と選手宣誓し、「復興センバツ」と呼ばれた。歴史的な大会を制したのは、初出場の観音寺中央(現観音寺総合=香川)だった。 「一戦ごとに強くなる」とは甲子園の決まり文句の一つ。観音寺中央の戦いぶりはまさにそれだった。決勝の相手は銚子商(千葉)だったが、伝統校に付け入る隙(すき)を与えない、したたかな野球を見せた。 一回に主将の1番・土井裕介内野手の三塁打を皮切りに2点を先取。その後、両チーム無得点が続いたが、六回には途中出場の福健一郎外野手が適時二塁打を放ち、銚子商のエース・嶋田貴之投手を降板させた。4番・室岡尚人内野手は3安打をマークし、個人の1大会通算最多安打記録を13に塗り替えた。 投げては、久保尚志投手が無四球完封。7安打されながらも、後にプロ入りした3番・沢井良輔内野手(元ロッテ)を無安打に抑えるなど要所を締め、三塁も踏ませなかった。 ユニホーム、アンダーシャツ、帽子、ソックスすべて純白だったことも加わり、鮮烈な印象を残した観音寺中央。初出場校の優勝は、88(昭和63)年の第60回大会の宇和島東(愛媛)以来で、85(昭和60)年の第57回大会の伊野商(高知)を含め、3回連続で四国勢による達成となった。=つづく ……………………………………………………………………………………………………… ▽決勝 観音寺中央 200002000=4 000000000=0 銚子商