地形学で予測する山岳湿地の未来図
佐々木 夏来(明治大学 文学部 専任講師) 生物の多様性と自然の美しさを見せてくれる湿地は、水の豊富な沿岸地域だけでなく、内陸の山地にも多数存在します。しかし、温暖化で山の生態系が崩れるのではないかと懸念される一方で、山岳湿地の分布や形成プロセスに関する詳細な研究は、これまでほんのわずかにしか行われてきませんでした。 ◇美しい風景は永遠ではない 「湿原」と聞くと、雄大な自然がイメージされるのではないでしょうか。日本には尾瀬ヶ原など有名な湿原がいくつかあり、シーズンになると壮麗な風景や希少な動植物を見るのを楽しみに登山やハイキングをされる方がたくさんいます。 しかし、残念ながら、美しい景観は永遠ではありません。時間経過と共にその環境は変化していきます。それは何万年、何千年の場合もあれば、何十年という比較的短い間隔で変容する可能性もあるのです。 私は地形学を専門としており、とくに標高1000メートル以上の山地に広がる湿原や湖沼といった「湿地」を研究対象としています。湿地の立地や形成のプロセスを整理し、さらに過去の気候変動と形成時期との関係を明らかにすることで、将来の気候変動が湿地に及ぼす影響を予測できるのではないかと考えています。 そもそも湿地の形成要因というのは非常に多様ですが、基本的には水と、それを蓄積する器が必要になり、水のインプットとアウトプットのバランスで湿地として成立するかどうかが決まります。実際に分布を見ると、降雪量が多い地域に湿地が多く見られます。 では、湿地は、どのような経緯をたどってその景観を変化させていくのでしょうか。一つは、水の量が変化すること、もう一つは、器としての地形が変化して水を蓄えられなくなることがポイントとなります。 まず、水の量は気候変化と関係しています。たとえば地球温暖化は、山岳地域の生態系に大きな影響を及ぼすと見られています。それには単なる気温の上昇だけではなく、山岳氷河や積雪を含む水サイクルの変化が関連するからです。 日本の場合、冬の気温上昇によって降雪量が減る(雨として降る)という説と、大気中の水蒸気量が増加することで降雪量がより増えるという説がありますが、いずれにしても、将来的には多くの山地においては雪解けの時期が早まると考えられています。 融雪時期の早まりは、少なからぬ湿地に影響を与えるでしょう。たとえば山岳地域の代表的な湿地に雪田草原と呼ばれる湿原があります。これは積もった雪から少しずつ供給される雪解け水によって、湿潤な環境が成立している湿原です。 初夏まで残雪のある雪田では、継続的に湿った土地が維持されますが、雪解けの時期が早すぎると、地表が乾燥する期間が長くなり、結果的に湿原の維持にとって不利にはたらく可能性があります。そして、気温上昇にともなう蒸発量の増加は、乾燥化に追い打ちをかけることになります。 もっとも、降雨量との関連など他にも様々な要素が関連するので、現段階では断言はできません。しかしながら、私たちが現在行なっている研究では、どうやらこの数十年の間で、大量の積雪によって維持されるタイプの湿原は面積を減らしているケースが多そうだということが徐々に分かり始めており、引き続き分析を進めていく予定です。 他方、火山の噴火口に水が溜まった火口湖のように、凹地に形成された湿地は、雪の少ない地域にも見られます。ということは、温暖化の影響もほとんど受けないので、消滅しないのかと思うかもしれません。しかし、山地は少しずつ侵食されつつある場所なので、一旦、排水路が形成されてしまうと、湿地としての存続は難しくなります。