橘左近さんの人柄や功績を楽しく 新宿末廣亭で「しのぶ会」
昨年12月に亡くなった長野県飯田市出身の寄席文字書家、橘左近さん(享年89)をしのぶ特別興行が5月31日、左近さんのホームグラウンドだった東京新宿の末廣亭であり、左近さんとつながりがあった芸人や元席亭、橘流寄席文字の書家が、左近さんの人柄や功績を高座で語り合った。 学生時代や若手のころ、橘流の寄席文字教室に通った立川談幸さんと滝川鯉朝さん、春風亭一之輔さん、左近さんが書いた末廣亭の看板を掛け替えるアルバイトをしていた春風亭柳好さんが「左近さんは一之輔の『一』の字を右肩上がりに書いてくれた」(一之輔さん)などと左近さんとの縁に触れてから持ちネタを披露した。 立川談志さん(故人)の付き人時代から左近さんと面識があったバイオリン漫談のマグナム小林さんは、漫談家に転身して末廣亭で左近さんと再会し、寄席の入り口に自分の看板が飾られたうれしさを吐露。左近さんと特に親しかった三遊亭好楽さんがトリを務め「胡椒の悔やみ」で楽しませた。 追悼座談には好楽さんと談幸さん、末廣亭の前席亭(現会長)、寄席文字会の書家が登場。橘流寄席文字の家元、橘右近さん(故人)の一番弟子になった勇気や落語家の系図研究などの足跡を面白おかしくたたえたほか、酒と歌が好きだったプライベートも回顧。フィナーレには追い出し太鼓の代わりに、左近さんの愛唱歌だった「憧れのハワイ航路」のおはやしが流れた。 中入り前には、左近さんの後任として末廣亭の看板を書いている橘右門さんら3人による寄席文字実演もあった。 しのぶ会は右近さんの生誕120周年と橘流寄席文字の60年も記念して開催。2階席も埋まり、飯田下伊那地域の落語ファンも来場した。 「札を見て思い出して」 元の席亭が粋な計らい 新宿末廣亭の「橘左近をしのぶ会」では、左近さんの後を追うようにして1月21日に亡くなった紙切り芸人、三代目林家正楽さん作の「相合傘」と左近さんがデザインした末廣亭の千社札を組み合わせた木版刷りの札が、来場者全員にプレゼントされた。 末廣亭の席亭として左近さんと長く関わった北村幾夫さん(現会長)が発案し、左近さんと正楽さんの落款も押印。北村さんは座談の中で「この札を見るたび、お二人のことを思い出してくれれば」と話した。 希少価値の高さが話題になると、三遊亭好楽さんが「2人とも亡くなったんですね。末廣亭がなくなったらもっと価値が出る」と落として座談を締めくくった。 紙切り正楽の初代は、飯田市知久町出身の一柳金次郎氏(1896年~1966年)。このため、すぐ近くの扇町で生まれた左近さんは紙切り正楽に対する思い入れが強く、三代目の襲名披露興行も地元飯田で2000年に第24回おいでなんしょ寄席として開いている。 北村さんは初代紙切り正楽が左近さんと同郷であることを知らなかったが、左近さんの生涯をしめくくるのにふさわしく、これ以上ないといえる記念品を思い付いた。左近さんが見たら、震えるくらい感動したはずだ。 終了後には、橘流寄席文字の書家たちが書いた寄席文字の色紙も全員にプレゼントされた。 (河原俊文)