【プレイバック’03】限界説が浮上した高橋尚子「アテネでオリンピック2連覇」の夢が潰えた"瞬間"
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は20年前の’03年12月5日号掲載の「”限界説”を独占直撃 高橋尚子『もう走れない!』」をお届けする。 【超貴重画像】すごい…! 勝負レースに敗れた高橋尚子「敗戦後にカメラの前で…」 高橋尚子(当時31)は‘00年のシドニー五輪女子マラソンで優勝、日本女子陸上界に初めて金メダルをもたらして国民栄誉賞を授与された。さらに翌年のベルリンマラソンでは、女子で初めて2時間20分を切る2時間19分46秒の世界新記録(当時)を樹立、翌年のベルリンマラソンでも2連覇を果たし、マラソン6連勝という無双ぶりを見せていた。 この前年はケガに見舞われて世界陸上への出場は逃したものの、高橋は翌年のアテネ五輪の選考レースとなるこの東京国際女子マラソンに照準を定めていた。レース前には体調が万全であると語っており、当然ぶっちぎりで勝利するものと思われていたのだが、結果はアレム(当時28・エチオピア)に敗れ、2位に終わった。本誌は試合後の高橋を直撃したのだが……。 ◆プレイバック!〝Qちゃん神話〟が崩壊した日 ――お疲れさまでした。 「はい、ありがとうございます」 ――次も頑張ってください。 「はい? 次? フフフ、次だって」 11月16日午後6時、都内のホテルに姿を現した高橋尚子は、エントランスでの本誌記者の直撃に意味深な言葉を残して、含み笑いしながら自室に消えた。 この日午後スタートした東京国際女子マラソンで、優勝が当然視された高橋はアレム(28=エチオピア)に敗れ、2時間27分21秒の2位に終わった。前半、快調に飛ばしトップに立ったときは、いつもどおりの”一人旅”と誰もが思った。ところが、30㎞手前で突然失速。ファンが信じられない思いでいるうちに、39㎞付近でアレムに抜かれ、最後は、とぼとぼ歩くようにして競技場に入った。ゴールインの瞬間、両手を広げて笑顔を見せたのが、せめてもの救いだが、”Qちゃん神話”が崩壊した「限界の瞬間」だった。 敗因は調整の失敗など、さまざまな憶測が飛んだ。確かだったことは、この惨敗でアテネ五輪出場が極めて難しくなったことだった。選考レースは1月の大阪国際、3月の名古屋国際の二つが残っており、どちらかで好成績を出せば可能性はあった。 しかし、高橋は翌17日の会見では大阪か名古屋へ出ることについて明言を避けた。31歳という年齢を考えるとアテネに出場が決まった場合、短期間に三つのレースを走ることとなり、実際問題として厳しいのだ。だが、何より冒頭のコメントのように高橋自身が消極的になっているように思えた。 高橋はやはり燃え尽きてしまったのだろうか。18日、本誌はホテルから1人で外出していた高橋がリラクゼーションサロンから出てきたところを再度直撃して今後について聞いた。 「いまはカプセルに入って、音楽を聴いてリラックスしてきました。今朝も監督と話をしたんですが、次、いつ走るかは決まっていません。燃え尽きたなんてことはありませんよ。マラソンはやめません。今後は、大阪で走る千葉さんと徳之島で一緒に練習すると思います。えっ、でも、どうしてここにいるのが分かったんですか!? だったら、ちゃんとメイクしてくれば良かったぁ」 晴れやかな〝Qちゃんスマイル〟を見せてくれた高橋。「走りたい」気持ちに揺るぎはないという。選考レースに賭けるか、座して待つか──。 結局、高橋は翌年の選考レースには出場することなく、アテネ五輪の代表は野口みずき、土佐礼子、坂本直子の3人に決まってしまう。だが、高橋は本誌に語ったとおり、走ることをあきらめたわけではなかった。その後も走り続けた彼女は’05年の東京国際女子マラソンでは見事優勝し、リベンジを果たす。そしてこれが’08年に引退した彼女の、現役生活最後のマラソンでの勝利となった。
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