我が名はGX71! 主導権を握ったのは日産だった? マークⅡ3兄弟の快進撃が始まるまで
80年代の自動車業界は様々なうねりが巻き起こった。ターボエンジンの登場によるパワー競争やハイテク化など。加えて、多くの流行も生まれている。その代表で社会現象ともなったのがハイソカーブーム。この中心にいたのがマークⅡ3兄弟だった。 【画像35枚】マークⅡ3兄弟のライバル紹介。同門のトヨタもマークⅡ3兄弟と並んで大ヒットを記録した 【我が名はGX71 純白のボディがもたらしたハイソカーブーム】 1970年代まで、日本の自動車業界をけん引したのはトヨタと日産だ。高度経済成長を追い風に2強体制を築き、順調に生産台数を伸ばしていた。同時にバリエーションは大幅に増え、ユーザーの上級志向も強まっていく。ひとクラス上を目指し、それまでは選択肢から外れていたアッパーミドルクラスに目を向ける人も多くなった。 昭和の年号が50年代を超え70年代後半、直列6気筒エンジンを主役とするアッパーミドルクラスは日産が主導権を握った。ケンメリからジャパンにバトンを託したスカイラインと上質な走りのローレルは、コロナの上級モデルに位置づけられたコロナ・マークⅡを販売面で圧倒。3代目ローレル躍進の原動力は、ピラーレスのスタイリッシュな4ドアハードトップだった。 スカイライン&ローレル連合軍に対抗するため、トヨタは77年6月にトヨタオート店にチェイサーを送り込む。 が、これは序章。反撃ののろしを上げたのは80年春である。新しい販売チャネルのビスタ店を立ち上げ、ここに4ドアハードトップのクレスタを投入した。 クレスタは、エレガントで伸びやかなフォルムが目を引く新感覚のアッパーミドルサルーンだ。デザインだけでなくパワーユニットも新しい。主役には、新開発の1G‐EU型直列6気筒SOHCエンジンを据えている。 クレスタに続いて大黒柱のマークⅡも大胆な若返りを図った。その半年後の10月、4代目のコロナ・マークⅡが登場し、兄弟車のチェイサーもモデルチェンジ。型式はクレスタがGX50/51系、マークⅡとチェイサーがGX60/61系だ。2ドアに代えて投入された4ドアハードトップを主役に、マークⅡたちの快進撃が始まった。 3兄弟のライバル紹介 TOYOTA SOARER|ライバル不在というほど勢いに乗っていたGX71/GX81マークⅡ3兄弟。数少ないライバルとして上げられるのが、同門トヨタのZ10/Z20ソアラ。マークⅡ3兄弟とともにハイソカーブームに乗り、大ヒットを記録。高性能なパワーユニットと走行性能や、上質な室内、数々の先進的な装備で、一躍スペシャリティーカー随一の人気を集めた。 NISSAN SKYLINE|マークⅡ永遠のライバルとして存在しなくてはならないスカイラインだったが、80年代は大きく水を開けられることとなった。この年代のスカイラインはR30/R31となるが、どちらもマークⅡ3兄弟とは路線が異なり、よりスポーティー色を強めていた。R30のFJ20型ターボやR31のRB20型エンジンなど、パフォーマンスは高かったが、ハイソカーブームという巨大な波に飲まれた。 初出:ハチマルヒーロー 2017年3月号 Vol.40 (記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
Nosweb 編集部