『三菱ギャラン GTO』 泥だらけから奇跡の復活 紀伊半島大水害の犠牲になった父の形見 13年の時を超え息子のもとへ 「ハンドル固っ!でも楽しい」
泥まみれの古い車。 13年前の紀伊半島大水害の犠牲者の1人である中平幸喜さんの愛車「ギャランGTO」です。 長らく修理不能と言われてきましたが、修復作業が完了しました。 4年かけて受け継いだのは、家族5人を失った息子です。 ■【動画で見る】濁流に飲み込まれた三菱「ギャランGTO」 亡き父の魂宿るハンドルを握る「息子」 水害で家族5人を失う
■災害で家族5人が犠牲に 「修理不可能」でも“残しておきたい”形見
「よく通りましたね。どこにあるんですか?」 車検証を受け取った、中平史都さん(35)。 視線の先にあるのは、父・幸喜さんの愛車の三菱「ギャランGTO」です。 【中平史都さん】「懐かしい~。久しぶりに見たっすね、この感じ。うわあ、すごいな」
【中平史都さん】父は間違いなく、よろこんでくれてますね。泣いてるんじゃないですかね、号泣してますよ。当時の泥まみれの姿を覚えていると、ここまできたのが…」 4月29日、13年の時を越えて、史都さんに受け継がれました。
【記者リポート】「和歌山県那智勝浦町です。いたるところで土砂崩れが発生しています」 2011年9月、紀伊半島を襲った台風12号。 和歌山県那智勝浦町では、中心部にある那智川が氾濫し、28人が死亡、1人が今も行方不明となっています。
史都さんの実家も土石流が襲いました。 東京で1人暮らしをしていた史都さんは助かりましたが、父・幸喜さん(当時45)、母・澄子さん(当時46)、妹の百音さん(当時13)と彩音さん(当時14)、弟の景都くん(当時7)の家族5人が犠牲となりました。
車が大好きで中古車販売店を経営していた父・幸喜さん。 父の店も水没し、愛車の「ギャランGTO」も土砂が入り込み、走行不能になりました。 「修理不可能」と言われたものの、史都さんにとって“残しておきたい”数少ない形見でした。
史都さんは、地元・和歌山に帰ることがつらい時期もありました。 【中平史都さん(2014年)】「ただただ不安だった。みんながいなくなったと思うと。生きていけるんかなと。この苦しみを乗り越えられる気がしなくて」 しかし、今は和歌山で暮らしています。 【中平史都さん】「当時ほど、落ち込むことはなくなったんですけど、時間が解決したのかなってのはありますし。会いたいって気持ちは変わってないですけど、当時は、もう今すぐ会いたいっていう、自分がどうなってもいいから、すぐにどうにかして会えないのかっていう。今は人生全うして、ちゃんと生き終えてから、みんなのもとへ会いに行きたい」
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