「売春」は「絶対にしてはいけないこと」なのか…その答えを真っ二つに分けてしまう、誰もが知っているが「じつは超あやふやな概念」
自発的な売春は是か非か?
この(1)と(2)の決定的な違いをわかりやすくするために、「自発的な売春は〈人間の尊厳〉に反することかどうか?」という問いにそれぞれの見方から答えてみよう。 (1)であれば、売春行為そのものが、自分の身体を相手の性的な充足のための手段に貶めることであり、それは人間の中にある「尊厳(品位)」という価値を損ねることだから、自発的であっても絶対にしてはいけないということになる。 ところが(2)であれば、人間が他人に干渉されずに自分の理性で考え、自分の意思で行為選択することこそが最優先される訳だから、他人に強制されてではなく自分自身の自律的思考と判断で売春行為をする選択をするなら、それは認められることになる。そのような選択を他人がむりやり禁止することこそが、「人間が尊厳をもって生きる」ことに反するということになる。 このように、「人間の尊厳」というそれ自体曖昧なタームには少なくとも2通りの理解が可能であり、そのいずれを用いるかによって一つの問いにまったく正反対の2つの答えが示されることになるのである。 (1)と(2)の解釈のいずれが正しいのかということは断言できない。しかし、それぞれを一般化すると導き出される帰結については想像できる。 (1)の、個人の主体性よりも守られるべき価値の方を優先する見方は、国家が特定の価値観を決定し、それと結びついた生き方を人々に強制する場合に利用される可能性がある。 それに対して(2)の主体性を優先する見方は、十分な判断能力をもつ個人の自律的な思考と選択を保障するだろう。ただし、その適用はあくまでも十分な知見と理性と判断能力をもつ成人に限定されるであろうが。 尊厳死という日本語の英語表記はdeath with dignityである。「尊厳を伴って」のwithの意味理解についても、やはり上記の2通りの可能性があるだろう。人間としての品位を保って死ぬことなのか、それとも人間が、他人に介入されず自分の思考と意志で自死を選ぶことなのか。 もし後者なら、2018年に亡くなった西部邁氏の「自裁死」(自立する精神に基づき、死ぬ意志と力があるうちに、社会に迷惑をかけぬよう、時と手段を決めて自ら死ぬこと)もまた尊厳死の1つの在り方ということになる。 さらに連載記事<「俺は間違った法律には従わない!」「お前が法律に従わないと世の中が乱れる!」…世の中の「ルール」をめぐる「大激論」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。
住吉 雅美