7度の引退、復帰への本音「申し訳ないっていう気持ちは常にある」…シン・大仁田厚 涙のカリスマ50年目の真実(58)
大仁田厚は50年に及ぶレスラー人生の節目、節目で7度の引退、復帰を繰り返してきた。 1985年1月3日、左ひざ粉砕骨折を負っての全日本プロレス引退、95年5月5日、次世代エース・ハヤブサにFMWを託しての引退、05年3月26日の明大卒業式後の「プロレス卒業」などなど―。そのたびに多くのファンが「オオニター!」の絶叫とともに涙を流し、リングを後にする「涙のカリスマ」の背中を見送ってきた。 だが、そのたびに繰り返された復帰劇。“最後の引退”は、17年10月31日、東京・後楽園ホールで「さよなら大仁田、さよなら電流爆破」と銘打って開催された「大仁田厚ファイナル 後楽園ホール大会・引退式」だった。 10年5月の東京・新木場1stRING大会で盟友・ターザン後藤とのタッグで勝利して以来、7年ぶり7度目となった引退マッチは後楽園ホールが火気厳禁のため、電流爆破デスマッチは封印。「大仁田厚思い出の聖地・後楽園ホール最期のデスマッチ!!ストリートファイト トルネードバンクハウスデスマッチ」と題した一戦で大仁田は自身の信者を公言する鷹木信悟、KAIと組んで、藤田和之、ケンドー・カシン、NOSAWA論外組と対戦した。 この日7発目のサンダーファイヤーパワーボムで快勝。有終の美を飾り、リング上でマイクを持つと「すみません。こんなウソつきに、こんな弱い男に、たくさんの応援、ありがとうございます」と絶叫。「一つだけ大仁田のいいところがあります。絶対にあきらめないこと。絶対に夢をあきらめるな! 今日は、今日は、今日は、今日はありがとよ!」と声を振り絞った。 母・松原巾江さん、弟の松原孝明さんとともにリング上で号泣。10カウントゴングを聞いたものの翌年10月には神奈川・鶴見青果市場大会で1年ぶり7度目の復帰を果たした。 自身が口にした「こんなウソつき」という言葉を地で行く、そんな最後の復帰劇から6年が経った。 7度目の引退時、60歳だった大仁田は「還暦ってことは大きかった。体力が落ちて、当時は本当に体がダメダメで。ひざは100メートルも歩くと痛みで動けなくなる状態で首も痛みで曲がらない。だから、100パーセントの気持ちで引退を決めた。引退する時はいつも100パーセントなんです」と口に。 「7回も引退、復帰を繰り返して、バカヤローの人生ですよ。だけど、バカヤローはバカヤローなりに一生懸命生きているつもりなんです」と正面を見て言うと、「いまだに申し訳ないっていう気持ちは常にある。ブーイングも覚悟しているし、ファンが俺から離れていくことも覚悟しています。でも、涙を流したファンには申し訳ないけど、俺はその時にやりたいことをやっているだけ。自分に素直に生きているだけ。ファンのためとかじゃない。自分のためにやっているんです」と続けた。 どこか開き直りにも取れる言葉だが、「本当、やっちゃいけないことをやってしまうダメなヤツなんです。でも、自分のやったことだから、自分の中で消化するしかない」とポツリ。 「自分の人生、悔いばっかりですよ。こう生きればこうなったとか、楽な人生だったとかも思います。でも、自分が決めたこの生き方じゃないですか。悔いはあるにしろ、自分が決めた人生だから胸いっぱい生きるしかない。人にバカヤローと言われようと、人に死ねと言われようと、詐欺と言われようと、自分が決めたんだから、しようがない。だから、バカヤローの人生って言ってるんです」―。 そう自虐的に言った「邪道」は昨年10月25日の誕生日で66歳になった。 7度目の復帰後、人工関節置換術を受け、両ひざの痛みを解消。体をリングに上がれるまでに戻した。 その上で「7度目の正直だと思って引退したのに、プロレスをしたい気持ちを抑えきれなくなって申し訳ない」という気持ちから、ボランティア・レスラーを名乗り、リングに上がった。 「罪滅ぼしと恩返しのつもりだった。だけどね。『ボランティア・レスラーとして(大会に)出てください』と、いくつも問い合わせをもらったけれど、正直、辟易(へきえき)したよ」とポツリ。 「チケットを販売したりスポンサーがいる大会でも、実費弁償のお願いをすると『え? ボランティアなのに飛行機代はウチが払うんですか?』と言われる。ボランティアなんだから自腹でどこへでも行くのが当たり前。お願いされたことを何でも引き受けるのが当たり前。ボランティアなんだからただで体よく使ってやろうっていう、そんな相手の態度にレスラーをボランティアでやるのは辞めようと思ったよ。ただ、利用されるだけだと痛感したよ」と正直に明かした。 だが、その体は昨年、手術に踏み切った腹部大動脈瘤始め正直、ボロボロだ。 1か月に1回ペースで痛み止め5本を打った上で電流爆破デスマッチに臨み、やけどは常に覚悟の上。過去に負った1500針以上の縫い跡の上にも新しい傷が増えていき、傷口からばい菌が入り、高熱が出ることもしばしば。両肩、右ひざ、右の腰には常に痛みを抱え、胃や肝臓の数値も悪い。中でも肺年齢は95歳と診断されたという。 「いまだに申し訳ないなって気持ちを持ちながらリングに上がってます」と口にしながら、それでもリングに上がり続ける。 「俺自身、何度も奈落の底に落ちているけど、どん底に落ちてもそれを助けてくれたのはプロレス。感謝してます。プロレスの神様はいるんです。だから、プロレスって自分が惹(ひ)かれ続ける世界の片隅にでもいられたらいいって気持ちなんです」―。 自分を救い続けてくれたプロレスへの感謝の念。それこそが「邪道」がリングに上がり続ける唯一の理由だ。 「申し訳ないなって気持ちをいつまでも引きずっていてもしようがない。リングに上がった途端、忘れるしかないんです」と言うと、「現状の自分ができることを一生懸命やるしかない。全盛期の自分を見せることはできないけど、今の自分ができる限りのことはやりたい」と決意表明した「邪道」。 だから、自身に浴びせられ続ける「ウソつき」という言葉やブーイングも、レスラーとしてのサバイバルへのパワーに変え続ける。 「悪口を言われることイコール関心があるってこと。今のSNS時代はどんな人でも悪口を言われるでしょ。悪口をエネルギーにしなきゃ心を病んでしまう人だっている。たとえバッシングでも関心のある人は俺にとって、エネルギーだと思って戦ってます」―。 レスラー人生50年、何度も何度も毀誉褒貶(きよほうへん)の嵐の中にたたき込まれてきた「邪道」は、きっぱりと、そう言った。 そして、50年のメモリアルイヤーも様々な舞台で命がけで闘い続けている「邪道」。最後に、その日々を追いかけていく。(取材・構成 中村 健吾) * * * * * * 「スポーツ報知」では、今年4月にデビュー50周年を迎える「邪道」大仁田厚のこれまでのプロレスラー人生を追いかけていきます。66歳となった今も「涙のカリスマ」として熱狂的な支持を集める一方、7度の引退、復帰を繰り返し、時には「ウソつき」とも呼ばれる男の真実はどこにあるのか。今、本人の証言とともに「大仁田厚」というパンドラの箱を開けていきます。 ※「シン・大仁田厚」連載は毎週金、土、日曜午前6時配信です。
報知新聞社