セールスを断るたびに友人を失う女性の嘆きに、鈴木涼美が思う「不倫中の女友達を更生させようとした友人」への違和感
作家・鈴木涼美さんの連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」。本日お越しいただいた、悩めるオンナは……。 【写真】鈴木さんの超ほっこりな出産祝い Q. 【vol.12】本当の友達が何か分からないワタシ(30代女性/ハンドルネーム「カレーライス」) 学生時代の友人と20代、30代になっても関わりをもつ中で、セールスや宗教勧誘、ものづくりをしている子からは、作品を買ってほしいなどの声がかかることがありました。私自身、友人関係で金銭のやりとりが発生するのが嫌なのと、仕事でもプライベートでも、セールス、宗教、ものづくりといった活動はしていないため、友達に声をかける感覚が分からず。内心少し嫌な気持ちになりました。相手が良いと思っているものを私に勧めてくれている、という気持ちも酌み、嫌な気持ちにさせないような断り方をしたのですが、断るとその後ほとんどの友人と連絡が取れなくなってしまい、何度か落ち込んだ経験があります。 学生時代の友人はとても貴重な存在で、大切にしたいという気持ちがあるのですが、考えが合わない人とは、キッパリと縁を切るべきでしょうか。それとも、食わず嫌いせず、いったん相手の要求を受け入れてみるのがいいのでしょうか。これ以上、大切な友人との関係を失いたくないと思っています。涼美さんの経験やご意見をぜひ伺いたいです。 A. 別の信仰のままいられるのが友人の利点。 考えが合わない人と友人関係を結ぶべきではないとすれば、自分のクローンみたいな友人しか残らず、個人的にそんな生活はとても楽しいと思えません。友人とは、お互いに別の信仰を持っていたとしても、そしてそれぞれが相手の信仰をまったく信じる気がなく、クソみたいなものだと思っていたとしても、尊び敬える相手のことだと私は思っています。
■女友達の官能的な不倫愛 恋人だって家族だって、趣味や嗜好にはそれぞれの個性があるべきで、好きなものが違って当たり前だとは思いますが、宗教によっては配偶者には同じ宗派を求めるものもあるし、そうでなくとも一緒に生活するとなるとやや不便なことはありそうです。普通の雑食ご飯とハラル認証バージョンと両方用意する、とか、嫌いで仕方ない政権与党の政治家のポスターを玄関先に貼られる、とか。そのようなハードルをやすやすと超えられるのが友人の良いところで、現に私はムスリムの家族はいないけれども友人はいるし、自民党支持の男と付き合ったことはないけど友人には投票先が自民党なんて人は結構いるはずです。 相手が嫌な気持ちにならないように勧誘やセールスを断っていたという気遣いから、あなたもたとえ友人が自分とは別のものを信じて別の考え方を持っていたとしても、一緒にお茶をしたり旅行や買い物をしたり恋の悩みを打ち明け合ったりする関係を持ちたいと思っているのだと感じました。ただ、友人関係も主体的な別個の人間それぞれが結ぶものなので、相手もそのように考えてくれるかは正直分かりません。同じものを信じてくれない人とは友人になりたくないと思う人もいるでしょうし、友人だからこそ助言やおすすめは聞いてほしいと思う人もいるのでしょう。その際には、一対一のフェアな関係を続けるのは難しいと私は考えます。 以前、既婚者の女友達が大変官能的な不倫愛に溺れていたことがあり、私はその友達の快楽に耽溺していく話や、人に知られないように工夫している小細工の話などが好きで、女子会の度にせがむように、最近はどうなの、彼とは相変わらずこの世の果てみたいなオーガズムを感じまくってるの、と質問しては不倫話を肴にお酒を飲んでいたのですが、もう一人同席することの多かった共通の友人にとってはその話は面白いものではないようでした。