【被災地は今】女川町で「まち開き」 生まれ変わる町に涙する人の姿も
商店街にはこの日、水産物や特産品などの町名物を売る屋台も多く出店した。「震災後に甘いものを売る店がなくなった女川町で、人々に甘いものを提供したい」と、今年6月から町でたい焼き屋を開業した佐藤稔克さん(60)は「商店街開業の23日は行列ができて、300個焼いたたい焼きが2時間半で売り切れた」と目を丸くする。ずんだ餡や栗餡を入れたたい焼きは、町の新名物。「新商店街の開業で、町がますます賑やかになってくれることを願っている」と笑顔だ。
壁のような土を盛る工事が続く
「まち開き」とはいえ、目に見えて復興したのはJR女川駅前の大通りで、津波で大部分が流された町の一部にすぎない。女川町では今回の規模の津波の襲来に耐えうる町づくりを目指し、商業地を元の土地の高さから約4メートル、住宅地を約10メートル高く土を盛る計画。津波被害を受けたほとんどの土地では、壁のような土を盛る工事がいまだ続いているのだ。建物の建つ土地自体を大規模に作り変える必要がある津波被災地では、復興のスピードはとても遅くなる。 この日特別に新商店街で屋台を出していた「串焼きたろう」の千葉静郎さん(63)は店舗の自力再建を予定しているが、建設予定地のかさ上げ工事が終わっておらず、店舗再建には「あと3年くらいかかるのではないか」と話す。店ができるまで、町の仮設商店街「きぼうのかね商店街」で営業を続けるという。
いまだ2千人以上が仮設住宅に
寒さを増してきた夕方ごろから、コンテナの仮設商店から新商店街に移転した居酒屋では、町の馴染みの男性客が続々とカウンターに集まってきていた。「この場所はいいけど、町のかさ上げ工事はあと何年かかるのか」「集合住宅でうまく暮らしていけるのか」。今年11月末時点で人口は6885人だが、町内ではいまだ2千人以上がプレハブなどの簡易な仮設住宅に住む女川町。酒を飲みながら、終の住処をめぐる談義は絶えない。 「5・4・3・2・1・・・」。午後6時半。商店街に集まった町民らのカウントダウンの後、駅から伸びた一本道と街路灯の先に、大きな花火が上がった。真っ暗な夜空に次々と打ち上げられる華々しい花火の明るさが、涙を流して見上げる人の表情を照らした。 (安藤歩美/THE EAST TIMES)