「沖縄へ、30年目のありがとう」 大冷害の岩手を救った沖縄の種もみ 架け橋となったブランド米、両県の地元3紙に全面広告
岩手日報社と沖縄タイムス社、琉球新報社は26日付で、1994年に石垣島で行われた「種もみ緊急増殖事業」をきっかけに生まれた岩手ブランド米をPRする全面広告を掲載した。 【写真】種もみ増殖に協力した30年前を思い出し、涙を拭う当時の石垣島のコメ農家・大浜博彦さん 同事業で生産された米は両県の絆を象徴する「かけはし」と名付けられ、94年10月26日に市場デビュー。以来、両県では農業のほか、教育、スポーツ分野の交流が続いている。 3紙合同企画として掲載された広告「沖縄へ、30年目のありがとう。岩手のブランド米発売30周年~『金色の風』『銀河のしずく』PR事業~」(特別協賛・JA全農いわて)では、岩手と沖縄の生産者3人のメッセージを紹介している。 沖縄タイムスには花巻市の川村厚さん(69)、秀子さん(68)を掲載。「岩手のブランド米は沖縄の太陽の下スタートしました」と感謝の言葉を寄せた。 3紙を並べるとアーチ状の「架け橋」が現れるデザインで、各紙面の「お米の便せん」は両県の絆と祝いをイメージした赤い糸(水引)でつながっている。 11月1日から沖縄県庁や石垣市でPRキャラバンを予定している。岩手日報社の特設サイトはこちらから。 ■沖縄と交流広がり喜び 岩手日報の川村社長 種もみの緊急増殖事業から始まった沖縄と岩手の交流が30年を迎えたことを記念し、来県している岩手日報社の川村公司社長らが30日、沖縄タイムス社を訪れた。農家にとどまらず、交流が広がったと喜び、「人口減少社会で、地域のつながりを深めるモデルとも言える」と話した。 1993年、岩手県は大冷害に見舞われ、翌春の種もみが足りない中、温暖な石垣島で岩手から送った種もみ2トンを116トンに増殖させ、岩手に送り返し、豊作をもたらした。 川村社長は「田んぼが痩せ、悲惨だった。農家だけでなく社会の雰囲気も暗い1年だった。米を作りたくても作れない状況。石垣島の協力で窮地を乗り越えた」と振り返った。 岩手県では「銀河のしずく」や「金色の風」など岩手県のブランド米を推奨している。川村社長は「種もみ増殖事業が岩手県で再び増産へと導き、生産者の意欲向上や生産基盤安定へとつながった」と語った。