魂を売った?ホロコーストの裏に「極限の駆け引き」 ユダヤ人リーダーが移送責任者と結んだ取引の成否
複数の「正しさ」が衝突し、対立が深まる時代、人は「何でもあり」の相対主義に陥りがちになると指摘するのが、応用倫理学を専門とする村松聡・早稲田大学教授です。論理ではわりきれない問いに直面したときに“筋を通す”ための倫理とは何か? 村松氏が「ホロコースト」を題材に解説します。 ※本稿は村松氏の新著『つなわたりの倫理学 相対主義と普遍主義を超えて』から一部抜粋・再構成したものです。 ■ハンガリーのシオニズム指導者が結んだ契約
1944年、ハンガリーに住むユダヤ人の絶滅収容所への強制移送が始まる。 当時、ハンガリーのシオニズム(ユダヤ人によるイスラエル復興を目指す運動)の指導者であり、ユダヤ人救済擁護委員会の中心人物の1人であったルドルフ・カストナーは、移送の責任者アイヒマンと取引を行う。アイヒマンは、ヨーロッパ各地のユダヤ人の絶滅収容所への鉄道輸送をすべて管轄していた。 カストナーは、一部のユダヤ人の救出を条件に、全ハンガリーのユダヤ人の輸送を滞りなく行う企てに協力する契約を結ぶ。ユダヤ社会の復興を考えて、カストナーは、著名なユダヤ人、重要人物を選び出すが、その中にはカストナーの家族、親類縁者も含まれていた。
最終的に、1684名のユダヤ人がドイツ親衛隊の監視下、列車に乗り中立国スイスへと出国する。一方、40万にのぼるハンガリーユダヤ人は、アウシュヴィッツのガス室で死んだ。 戦後、カストナーはイスラエルに渡り、通商産業省のスポークスマンの職についていたが、同胞のユダヤ人からナチスとの協力に対する非難を受け、1955年、イスラエルで法廷に立つ。 ハレヴィ判事は裁判で、カストナーを「悪魔に魂を売った」と批判した。カストナーは列車の行きつく先に何が待っているか知っていたにもかかわらず、その情報をユダヤ人社会に伝えなかった、と非難された。
もし、救済擁護委員会がアイヒマンと協力せずユダヤ人を組織して鉄道輸送に抵抗していたならば、せめてハンガリーのユダヤ人社会に正確な情報を伝えていたならば、輸送に時間と手間がかかり、効率的にユダヤ人をアウシュヴィッツに輸送できなかったろう。 ナチスに協力しなかったとしても、多くのユダヤ人が殺されたにちがいないが、抵抗するべきだった、そう考えることもできる。実際、1943年ワルシャワでは絶望的ななかでユダヤ人たちが蜂起し、その鎮圧にナチスの親衛隊は多くの労力と時間を費やさなければならなかった。