日本勢のメダル量産に期待 「デフリンピック」11月に日本初開催 21競技に選手約3千人
前回の22年カシアスドスル大会後は、引退するつもりで練習をしていなかったが、同年9月に東京での開催が決まり、「選手で参加したい」と翻意。翌日から再び泳ぎ始めた。
集大成と位置付ける東京大会は、200メートルと400メートルの個人メドレーでの頂点を目標に掲げる。「今までお世話になった人たちに、日本で恩返しをしたい。結果を皆さんに見せたい気持ちが大きい」と力を込めた。(久保まりな)
■いばら・りゅうたろう 1994年、東京都出身。東海大大学院修了後、SMBC日興証券に入社。もともと背泳ぎを本職としていたが、大学入学後に個人メドレーに転向した。現在は各地で講演活動を行うほか、東海大で一般の学生らとともに練習に励んでいる。
■卓球 亀澤理穂
デフ卓球の亀沢は並々ならぬ決意で東京大会を迎える。「金メダルを取ること。もうそれだけ、それしかないです」。過去4大会で計8個のメダルを獲得するも、いまだ届いていない頂点を見据える。
ラケットを握るのは自然なことだった。両親が実業団選手。小学1年生のころ、3歳上の兄とともに卓球クラブの門をたたいた。先天的の難聴を抱えていた亀沢は、補聴器をつけて聴者に交じって練習し、団体で全国大会にも出場した。
デフ卓球との出会いは中学校1年生。デフリンピックを制した選手の講演を聞き、「私も(デフリンピックに)参加したい」と決意した。
しかし、試合中の補聴器使用が禁止されるデフ卓球は想像以上に難しかった。「ボールに全く当たらない…」。補聴器をつければ、健常者のように打球の強弱までは聞き分けられないものの、打球音自体は聞き取れた。目で見た情報だけではなく、音に体が反応していたことに気づいた。
以来、練習ではまず補聴器をつけてテンポを体に染み込ませてから、無音の世界で打ち合うようになった。微調整が必要な技術練習は補聴器をつけて効率を高める。音と付き合いながら、世界トップレベルの実力を手にした。