「勉強していると『バスケをなめてるのか?』と…」40歳になった“公認会計士合格のBリーガー” が語る、かつての日本バスケ界「本当にあった惨状」
公認会計士試験に合格しながらバスケットボールの日本代表としても活躍した岡田優介さん。40歳になった今季は、新天地となったB3香川で新たな一歩を踏み出した。かつては異質だった“文武両道アスリート”が日本バスケ界にもたらしたものは何だったのか。その歩みと、現在の生活について本人に聞いた。《全3回の1回目/つづきを読む》 【写真】「自閉スペクトラム症」と「知的障害」を持つ長男・朔玖君と“ひとりの父親”岡田選手の日常…バスケ選手としての15年前の日本代表時代&現在のキレッキレのプレーシーンも見る 昨シーズンの終わり、当時39歳のバスケットボール選手の、以下のようなポストがX(旧Twitter)のタイムラインを賑わせた。 《心残りが少しだけあります。ずっと何かが引っ掛かったまま、チームの為に尽くしてきたつもりですが、報われたと思うことは無かったです。全てを出し尽くしてやり切ったと、今は胸を張っては言えないです。(中略)求めてくださるクラブがあれば、オファーをお待ちしております。無ければ諦めます》 2部リーグにあたるB2所属のベテラン選手が契約満了により退団するのはよくあることだ。しかし、そのポストはありふれた選手のものとは異なるレベルの注目を集めた。 それは、投稿主の岡田優介が日本のバスケ界に多くの貢献をしてきたからだろう。まず、彼がどのような形でバスケ界に貢献してきたのかを紹介しよう。
異例の「公認会計士試験に受かった」日本代表選手
岡田が初めて世間の注目を大きく集めたのは、「公認会計士の試験に受かった」バスケ日本代表選手になったときだ。 バスケットボール部の看板選手として活躍していた青山学院大に在学中から勉強を始め、26歳で合格した。会計士試験は司法試験についで難しいとされており、当時の合格率は10%を切る。合格の一報は、中国でのアジア大会に日本代表として参加していたときに届いた。 ただ、公認会計士を目指すキッカケは大半の合格者とは一線を画すものだった。 「社会的な使命感で公認会計士を目指したわけではなく、また、引退後の保険的な意味合いでもない。若気の至り的なチャレンジャー精神からです。とりあえず難しい資格を取ろうと。極端に言えば、弁護士でもよかったかもしれません。性格的には司法試験の方が向いていたと今では思います(笑)。 ただ、司法試験を受けるためにはロースクールに行かないといけない。当時の僕の優先順位としては、プロ選手としてプレーすることが一番上にあった。その活動を休んでまでロースクールに行くことは考えられず、公認会計士試験を選んだんです」 大学卒業とともに、トヨタ自動車アルバルク(※現アルバルク東京)に入団した。 ただ、当時のバスケ界は、まだいまほど開かれていない時代だ。岡田と同じシューターの役割を果たせる優秀な選手がトヨタには多かったため、入団当時はこんなことを言われたという。 「君は少なくとも3年間はベンチ暮らしだな」 特に公認会計士の資格取得に向けた勉強をしていることが知れわたってからは、バスケ界の“重鎮”たちからは「バスケをなめているのか?」と厳しい言葉を浴びせられることもあった。 岡田はこう振り返る。 「まぁそう言われても『頑張ります』と返すだけで。『やるのは自分だから、結果で見せますわ』と思っていました」
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