長野市長沼に「幻の飛行場」? 市民団体が情報提供呼び掛け
太平洋戦争の最中、長野市の長沼地区に軍用飛行場を作る可能性があったことが、市民団体の調査で徐々に分かってきました。 「地元の歴史を後世に伝えたい」と情報提供を呼び掛けています。 本土決戦に備えた「幻」の飛行場の計画。当時を知る男性が現れました。 ■山口和友さん(91) 「うちの親父が建設関係の仕事をしておりまして、軍から命令されて飛行場の関係の仕事をさせられた」 リンゴ畑が広がる長野市の長沼地区。 ■西沢清文さん(70) 「ここよりも北側がどうも予定地で、ここまでは切ったという証言があるので南はわからないですね」 戦時中、この一帯に空軍の飛行場を作る計画があったのではないかと、地元の住民などでつくる「長沼地区史を学ぶ会」が去年12月から調査を始めました。 きっかけは住民のこんな一言でした。 「飛行場を作るため、祖父がリンゴの木を切った。」 元々長野市の大豆島周辺には戦前から飛行場があり、戦時中は軍用飛行場になっていました。そして終戦の年の6月、この長沼地区の一帯を飛行場にする命令が出たそうです。 現在91歳の山口和友(やまぐち・かずとも)さん。 当時中学生だった山口さんの父親は、飛行場同士を結ぶ道路の工事を担っていました。 ■山口和友さん(91) 「大豆島の飛行場から電話線を張るということで電柱を建てる仕事をしていた。ずいぶんたくさんのリンゴを扱ぐ(引っこ抜く)のも命令されてやりました」 工事中に終戦となり、伐採した家の中には「損をした」と嘆く人もいたそうです。 工事を進めていた証拠がもう一つ。 ■西沢清文さん(70) 「これとかこれとか、どう見てもこれ線路ですよね」 近くの神社の藤棚に線路の一部が使われています。飛行場を作るため、資材を運ぶトロッコの線路として使われたと、当時陸軍にいた人物が明かしたそうです。 ■西沢清文さん(70) 「「標的の村」に長沼がなったかもしれない調べてやっと危機感が出てきた。」 「長沼地区史を学ぶ会」は今後も研究を続け7月にも報告会を開く予定です。 「地元の歴史を後世に伝えたい」と、さらなる情報提供を呼び掛けています。