【陸上】単独インタビュー「私は田中希実ですと自信を持って言えるようになった」プロ1年目の総括と思い描くパリでのレース
昨年4月、田中希実は実業団チームを離れて「New Balance」所属の“プロランナー”としてのキャリアをスタートさせた。 田中希実 米国で伝統あるペン・リレーに出場 3週連続の1500mは4分08秒32で3位 プロとして駆け抜けた1年。ブダペスト世界選手権では5000m8位入賞し、ダイヤモンドリーグ(DL)ファイナルでも6位に入るなど、世界の“仲間入り”を果たした。 記録面でも1500mこそ自己記録には届かなかったが、5000mでは14分29秒18をマークしている。プロ1年目についてインタビューした。 ――屋外シーズンがスタートしまました。ずっと試合に出られているので、切り替えのタイミングなどはどういう意識でしょうか。 「世界室内選手権でインドアシーズンの区切りがつくのですが、トラックが始まるまでの間は調子を整えるという面で難しい時期でもあります。本当は少しゆっくりできればと思っていたのですが、いつも思うようにはいかないので…(苦笑)。忙しいものだと思って過ごし切りました」 ――プロ1年目。激動でしたね。 「プロという土台があるからこそ、走る時でも普段の時でも、『私はランナーです』『私は田中希実です』と自信を持って言えるようになった1年だったと思います」 ――実際に思い描いていたプロ像と、活動してみてと、違いはありましたか。 「プロになる前は、社会貢献のイメージがあったり、『いろいろなことをしなきゃいけない』というふうに思ったりしていました。ただ、実際に過ごしてみると、こうしないといけないルールはない、というのは新しい発見でした。思っていた以上に新しいチャレンジができたと思います」 ――一方で大変なことも多かったと思います。 「金銭面においては、実業団時代よりもすごく意識しました。合宿一つとっても考えないといけません。実業団時代はチームのスタッフの方々が当たり前にしてくださっていることもたくさんあって、それは一つの仕事なのでお任せしている部分もありました。ありがたいことに、今は父(健智コーチ)が担っててくれていますが、家族やニューバランスさんの支えで成り立っているのは改めて実感しました」 ――今までももちろん、手を抜いていないのは実績や姿勢で誰もがわかっていると思いますが、やはり心持ちは変わってきますよね。健智コーチに話をうかがった時に「彼女はレースを棄権したり、途中で辞めたりすることがほとんどない」とおしゃっていました。 「そうですね。やはり、何かしらに、次につなげないといけないという気持ちは強くなりました。ヨーロッパやアメリカに遠征した時でも、今は自分から行きたいと計画しているので、目的意識はよりしっかりしたと感じています」 ――社会貢献という面では、レースでの賞金などを活用し、次世代アスリートの支援「NON STOP PROJECT」を立ち上げられました。 「いろいろ選考してきたのですが、結局私が選びきれなくて…。父の提案もあり、最終的には人数を絞るのではなく、全員で一緒に合宿をして、いろいろな話をする機会を設けました。人数が増えた分、日程は少なくなってしまいましたが、その子たちと時間を共有することを大切にしたかったのです。今後も縁を大切にしてきます」 ――同じ中距離で、一緒に世界クロカンの代表になった澤田結弥選手(浜松市立高卒)は、田中選手にあこがれていて、夏に渡米して米国の大学に入学します。 「すごい勇気だなって思います。私だったらその年齢で海外へ単身渡るのは怖いですし、不安です。そこに行ってみると思えるのは彼女の強さですし、競技に関係なくても未来につながりますよね。その過程で、また一緒に代表になれたらとてもうれしいです」 ――昨年から何度かケニア合宿をされているのも話題になっています。三浦龍司選手に聞いてみたところ、「ああいうのがやっぱり大事だと思う」と共感されていました。 「まず、いろいろな面で“常識”が違います。日本で私が1人できついメニューをする時に身構えますが、ケニアに行くと構えることなく『今日はこんな感じか』と、当たり前にきついメニューに向かっていけるんです。向こうの選手はすごくリラックスして練習していて、仲間と一緒に楽しみながらチャレンジしている印象があって、すごく居心地がいい」 ――それがあると、レースでも自然体で臨めそうですね。 「日本にいると練習もレースのようにするのですが、向こうでは普段の練習をリラックスして、レースの時は練習を思い出していけるので、少し気が楽になります。ただ、やっぱり海外の選手で、“次の大会”が約束されている選手は、世界トップの本当に一握りだけ。だからこそ、レース後に『次も頑張ろう』と切り替えられるマインドや、きりかえて開き直るというのはもっと私も大事にしていきたいです」 ――オリンピックがやってきます。3年前のことは覚えていますか。 「(8位になった)1500mのレース中の感覚というのはあまり覚えていないんです。ただ、招集所やレース前のドキドキ感は覚えています」 ――東京五輪のあと、2度世界選手権を経て、違いは感じますか。 「当時は気付きませんでしたが、やはりオリンピックは特別なんだなって、世界選手権を経験したからこそ思います。世界選手権やダイヤモンドリーグは少しリラックスしている雰囲気もありますけど、オリンピックはもっと緊張感があったように感じますね」 ――パリ五輪は1500m、5000mで挑戦することになると思います。出場権を得たらどんなレースがしたいと思い描いていますか。 「私の理想は、ラストスパート合戦になった時に、その中で勝つとか負けるとかではなくて、シファン・ハッサン選手(オランダ)やフェイス・キピエゴン選手(ケニア)のような、誰が見ても『おぉぉ!』ってなるようなスパートがしたいんです。すごく抽象的なんですけど、それが一番の理想です。今の実力では達していないので、パリに間に合うかどうかは別として、ひたすら求め続けてずっと意識しながらシーズンを過ごしていきたいと思っています」
向永拓史/月陸編集部