AIは『ダンガンロンパ』や『極限脱出』を超えるシナリオを生成できるのか? クリエイター・打越鋼太郎が語るAIに勝つための方法
2024年11月16日、17日の2日間にわたって、中国・上海でWEPLAY EXPO2024が開催された。このWEPLAYは、同地で毎年この時期に行われているゲーム展示イベントで、おもに中国ゲームパブリッシャーからリリースが予定されているさまざまなコンソール系タイトルが一堂に会することが特徴。また、中国産タイトル以外に、日・米・欧など世界各地域のタイトルが出展されているほか、我々ファミ通もブースを出展していたりする。 【記事の画像(27枚)を見る】 ファミ通ブースには、日本の複数のゲームメーカーのタイトルが展示されていて、Bokeh Game Studioの『野狗子: SlitterHead』やアクワイアの『オールインアビス イカサマサバキ』といったタイトルが試遊できたほか、アニプレックスの『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』やマーベラスの『龍の国 ルーンファクトリー』の企画展示およびステージ配信なども実施させていただいた。さながらジャパンパビリオン的な装いとなっていて、中国のゲームファンの皆さんに、日本のゲーム情報を紹介する役割を多少なりとも担うことができたかなと思う。この場をお借りして、ご協力いただいたメーカー各社の皆さん、ありがとうございました! 「そんなことやってるんだ」と思われた業界関係者の皆さん、ご興味ありましたらお気軽にお問い合わせください(と、ちゃっかり宣伝)。 WEPLAY EXPO2024のファミ通ブースの様子。多数の中国のゲームファンが足を運んでくれた。2025年4月24日発売予定の『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』には、これだけの熱いメッセージが寄せられた。 誰でも、ひとりで、簡単にゲームが作れる時代に さて、前振りが長くなってしまったが、本題はここから。上記のWEPLAYに先駆けて、11月15日に中国のゲーム開発者を対象としたデベロッパーズカンファレンスが実施されたのだが、ここにToo Kyo Gamesの打越鋼太郎氏が登壇して、“ゲームデザインの未来について”をテーマに講演を行った。この講演が、長年にわたってディレクターとシナリオライターを並行して務めてきた打越氏ならではの視点から、AIの得意不得意について分析する内容で、「なるほど!」と腑に落ちるポイントがとても多かったので(端的に言うと興味深くておもしろかった)、打越氏ほか関係者の皆さんから承諾を得て、こうして記事としてまとめている。ちょっと長くなりそうだが、ぜひ最後まで読んでいただければと思う。 打越鋼太郎氏は、『Ever17』、『極限脱出』シリーズ、『AI: ソムニウム ファイル』シリーズなどの代表作を持つクリエイター。すべての作品でシナリオも執筆していて、『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』では小高和剛氏とともにシナリオを担当。日本以上に海外で人気で、中国でもご覧の注目度の高さだった。 まず、本講演の冒頭に打越氏から、以下のアドベンチャーゲームが紹介された。 じつに古典的な内容のアドベンチャーゲームといった雰囲気で、この場面のあとにも若干の続きがあるのだが、ここではいろいろなことを考慮して割愛。ポイントは、この簡易なアドベンチャーゲームが、AIを使って1時間程度で作成されている、ということだ。 具体的には上のスライドのとおりで、画像や音楽のほか、プログラムもChatGPTによって生成されているという。打越氏は講演で、「AIを使いこなすことさえできれば、“誰でも、ひとりで、簡単に”ゲームが作れる時代になりました」、「ほとんど予備知識のない素人の方でも、簡単にゲームが作れてしまいます。ゲーム制作はこれまで集団作業でしたが、これからは小説やマンガのようにひとりで作るのがふつうになるかもしれません。その結果として、おそらく大量の個人制作によるショート・インディーゲームが生み出されていくはず。いまでもそういったゲームは数多くありますが、今後はその勢いが加速され、膨大な量のインディーゲームが世に溢れることになるのではないでしょうか」と私見を述べた。 AIはシナリオが不得意? 一方で打越氏は、「大作とインディーゲームの関係は、“映画”と“YouTube”のようなもの」とも述べた。「個人発信によるコンテンツが流行る一方、映画がなくならないことと同様に、集団で作る大作ゲームが消えてしまうことも当面……あくまで個人的な見解ですが、少なくとも5年間はないでしょう」、「とくに、ナラティブ性(物語性)の強いゲーム……RPGやアドベンチャーといったジャンルについては、まだAIが完全に制作するのは難しいのではないでしょうか」と述べ、以下のスライドを用いてその理由を説明した。 このスライドは、ゲームを構成する要素である“絵”、“音”、“文”それぞれの創作物について、“名作かどうかを判断するために必要な時間”を表している。一概には言えないものの、“絵画”は見た瞬間にうまいかどうかを判断できることが多い。“音楽”は1音だけ、あるいは1小節だけ聴いても名曲かどうかの判断は難しく、少なくとも数分は必要。そして“文章”……とくに物語性の高い小説などは、時間をかけて最後の1ページまで読み切ることで初めて評価することができる。つまり、“文章”の善し悪しの判断には相応の時間が必要であり、加えて、AIが数百冊、数千冊の長編小説をインプットして独自の長編小説を生成したとしても、その善し悪しを判断するのもけっきょく人であることから、商業的に使えるレベルの文章をAIが生成するには、とてつもない時間がかかることになるのではないか、と打越氏は推測する。 続けて、打越氏は文章の奥深さについて説明。スライドに表示されている文章自体は短く、容量的には0.3~0.4KB程度しかないが、一方でこの文章を読むと、頭の中にさまざまな情報と情景が思い浮かんでくるだろう。 ・「深夜にネクタイをゆるめるって、どういう状況?」 ・「薄くなった琥珀色の液体とは? 氷が溶けるのに十分な時間が経過している?」 ・「片方だけ判が押された離婚届って? 男が判を押したのか、それとも妻が押したのか?」 ・「携帯が床に落ちて画面が割れたというのは、何を表現している?」 と、このように、短い文章からも思いを巡らすことが可能で、AIがこの文章を解析するとしても、“言外の意味(コノテーション)”まで把握しないと意味がないことになる。しかも、小説といった物語は、こういった文章が延々と連なることで完成するため、AIと言えどもすんなり解読して、優れた文章を生成することは簡単ではない。「文章というものは圧縮率が高いがゆえに、AIを苦しめるとも言えます」と打越氏は話した。 では、なぜ圧縮率が高いとAIが苦しむのだろう? 「圧縮率が低いということは、データの正確性が高いということであり、AIも正解にたどりつきやすいでしょう。しかし文章は、先ほどの短文でもそうであったように、人によって感じかたや頭に浮かぶ情景が異なります。つまり、明確な答えは存在しないと言えます。行間や余白を含めて楽しむのが文章であり、そういった点から、AIが長編の“優れた”文章を生成するのは、いまはまだ……少なくともこのさき5年程度は難しいのではないかと個人的には思っています」と説明したうえで、「AIが優れた文章を生成するのに苦労する理由として、“フレーム問題”が関係しているのではないでしょうか」とも話した。フレーム問題とは、ざっくり説明すると“AIがある問題に直面したとき、不必要な可能性(人間であれば当たり前に排除するような可能性)まで含めて考えてしまい、思考が停止してしまうという現象のこと。これをわかりやすく解説するのが以下のスライドだ。 イラストは、男性ふたりがケンカしている状況を表している。このケンカをAIが搭載されたロボットが止めなければならないときに、ロボットはどのように思考するのか? 「言葉で説得する」、「右側の男をつかむ」、「左側の男をつかむ」、「腕をつかむ」、「腰をつかむ」、「タックルする」、「近くの人に助けを求める」、「近くの誰かが持っているコーヒーをぶちまける」など、ロボットが取り得る手段は無数にあり、しかもそれぞれを選択したときに“つぎに何が起こるのか?”も無数に分岐していくことになる。無数の分岐まで含めてシミュレーションしながら最善策を選択することは極めて困難で、将棋や囲碁のシミュレーションよりも難しいと言える。文章に込められている“言外の意味”を正確に把握することも同様で、ひとつの文章から考えられる可能性は無数にあるため、AIは困惑してしまうのではないだろうか。 AIが『ダンガンロンパ』や『極限脱出』レベルのシナリオを生成する未来も? さらに打越氏は、AIが『ダンガンロンパ』や『極限脱出』、『AI: ソムニウム ファイル』の続編を作る可能性について「どの作品にも、本編の中では明示されない“圧縮された情報”が大量にあるため、いまは難しいと思います。ただ、“10年以内”というくくりだったら、意外とあっさりできてしまうかもしれません」と発言。「一説によると、AIの知力は10年後には人間の10000倍になるとも言われています。人間の脳のシナプスは100兆個で、その10000分の1と言われているのが金魚。知力はシナプスの数に比例するとも言われていて、いまから10年後、“AIから見た人間”は、“人間から見た金魚”と同じになるかもしれません……」とちょっと怖いような可能性にも触れていた。 ここまで話したところで、打越氏は“ゲームデザインの未来について”のひとまずの結論として、「正直に言って、10年後のことなんてわかりません。金魚に人間のことがわからないのと同じように」としながらも、「あらゆる創作物がAIによって作られるようになったときに何が起こるのだろう? と考えてみると、“これはAIではなく、人間が独力で作ったものです。だから価値があるのです!”という未来が待っている気がします」とコメント。一方で、起こり得る懸念点については以下のように述べた。 「人間が作ったということを、どうすれば証明できるのでしょう? ライブペインティングみたいに観客の前で絵を描いたりしない限り、絶対に不可能な気がします。たとえば、“いま僕が話していることは、全部AIが書いたものなんです”と言ったとしたら? もちろんこれは自分で考えてきたものですが、それすら証明はできないわけです。いまから数年後に、誰も見たことがない超絶トリックを用いたミステリ小説が生まれたり、歴史的な大発明や数学の難問の証明、あるいは僕がいままで以上にとんでもなくおもしろいゲームを作ったとしたら? 皆さん、心のどこかで“AIを使ったんじゃないか?”って思っちゃいません? そうすると、感動の度合いが1段階下がってしまう気がするんです。誰もが心のどこかで“AIを使ったのでは?”という疑念が自然に芽生えてしまうかもしれない。この心理作用について、僕は【疑心ai基(ギシンアイキ)】と名付けました。ぜひ、皆さんもこの言葉をいろいろなところで使ってください。数年後の流行語大賞をひそかに狙っています。あ、この言葉もAIではなく自分で考えました。もちろん証明はできないわけですが……」。 “【疑心ai基(ギシンアイキ)】”が流行るかどうかはさておき、確かにいまこうやって書いている文章も、AIがさらさらっと生成するような時代がそれほど遠くなく来るだろう。もちろんそういった時代が来たとしても、人間が創作活動をやめることはないわけで、ではそのときに求められるもの、必要なものはなんなのだろうか? というテーマで、打越氏の講演は後半戦を迎えることになる。 強烈なオリジナリティーを生むには“発想の飛躍”が必要 打越氏は、人間がAIに勝つためには「月並みですがオジナリティーに尽きる」と前置きしたうえで、これまでともに仕事をしてきた西村キヌ氏、コザキユースケ氏、いとうけいすけ氏、小高和剛氏、高田雅史氏、小松崎類氏といった各ジャンルのトップクリエイターの作品は、いずれも絵を見たり、曲を聴いたり、文章を読むだけでその人が作ったものだと一発でわかるとし、「言葉ではとても表現できない特殊性」こそがオリジナリティーであると話した。 では、そういったオリジナリティーはどのように磨くのか? 打越氏は“発想の飛躍”が大事であるとして、実例を交えて解説。「ゲームには“仕様”があって、それをもとに“制作”を進めていくわけですが、これを分解すると、そのあいだに“発想”という工程が必ず挟まります。この“発想”がAIは苦手です。『AI: ソムニウム ファイル』というゲームには“人気のないお笑い芸人。貧乏な中年男性”というキャラクターが登場するのですが、試しにこの設定で、AIに絵を描かせてみました。それがこちらです」。 ご覧のとおり、AIがお題をもとに描いたキャラクターはいたって平凡で驚きがなく、確かに“人気のないお笑い芸人。貧乏な中年男性”そのものではあるが、それ以上でも以下でもない。AIなりの“発想”はしているが、そこに“飛躍”がないことがひと目でわかる。このキャラクター、実際にはコザキユースケ氏がデザインしてゲームに登場しているわけだが、それがこちらになる。 これはコザキユースケ氏による設定画だが、まさに“発想の飛躍”が具体化していて、これぞ“オリジナリティー”だと一目瞭然で感じられる。クリエイティブにおいてこういった勝負ができるかどうかが、これからはより一層大事になっていくのだろう。 AIに勝つために日ごろからするべきことは? 「AIに勝つためには“ネットにはない情報をなるべくたくさん持つこと”も大事です。ネットに載っていない情報は、AIはどうやっても入手できません。それは“自分だけにしかできない経験”とも言い換えられます。大げさなことをする必要はなく、友だちと居酒屋で飲み明かすとか、帰宅して子どもの寝顔を見るとか、恋人と手をつないで歩くとか、そういったときの記憶や感覚は自分だけの財産であり、AIには決して模倣できないものなのです。そういった自分だけの経験をこれからもぜひ大切にしていってください」という粋なメッセージで、打越氏は講演を締めくくった。書き添えると、会場の100人以上の中国のゲーム開発者たちは拍手喝采だった。 AIが便利であることは皆さん知ってのとおりで、いかに使いこなせるか、ということもひとつのテーマであるが、クリエイティブで勝負をしている方々にとってAIはライバルであり、死活問題にも直結していく。5年後、10年後にその勝負はよりリアルになっていくだろう。そういったとき、最後にモノを言うのが“オリジナリティー”で、“オリジナリティー”を生み出すには“発想の飛躍”が必要不可欠という総論はとても納得できるものだった。言わずもがな、我々ゲームファンは、その成果物の集合体であるさまざまなすばらしいゲームで人生を豊かにしてもらっている。AIの進化に負けないような、クリエイターのオリジナリティーがぎちぎちに詰まったゲームがこれからもたくさん生み出され、「AIはすごいけど、やっぱりそれだけじゃダメなんだよ」なんて未来が来ることに大いに期待したい。そう思わせてくれる講演だった。 ちなみにWEPLAY会期中に打越さんは51歳の誕生日を迎え、『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』のステージで中国のゲームファンから盛大にお祝いしてもらった。いい光景ですよね。打越さん、おめでとうございます! 飲みすぎには気をつけて!