「スポーツって、見る人とプレーする人がいて成立すると思うんです」東京&パリ 2度の五輪を支えた日本人ボランティアが語る「かけがえのない存在」
日々、活躍が報じられる、パリ五輪日本代表選手たち。一方、大会を表に裏に支えるのが、五輪ボランティアたちだ。多くは、現地・フランス在住の人たちが参加しているが、日本からも今大会のボランティアに参戦した人がいる。そのひとりが、根本真希さんだ。 【根本真希さん】パリ五輪のボランティア仲間と 「今大会では、バレーボールの会場で『オリンピックファミリー』という、いわゆるVIP対応の仕事をしています。パリは2回めの五輪ボランティアなんです。2021年の東京五輪で初めて参加しました」 そう語る根本さんは23歳。現在は豪メルボルン大学大学院で、デザイン教育と言語教育について学んでいるという。日本語のほかに英語と中国語を話せる「トリリンガル」だが、ボランティアの仕事を離れれば「今日はヘッドホンをつけたので、髪型が崩れちゃって」と恥ずかしそうに笑う、学生らしい一面を見せた。 今回の大会へは「なんとか授業を2週間休ませてもらって。帰ったらがんばってこの期間の穴を埋めなきゃいけないです」と、スケジュールをなんとか空けて、無理やり参加したという。日本人は「ボランティアのなかでは、体感だと数十人くらいしかいないと思います」というほどの少数派。五輪の何が、そこまで彼女を引き付けるのか。 「もともと両親の影響で、五輪とバレーボールは小さいころからテレビで試合を見ていて、好きになりました。とくに、ロンドン五輪で女子バレーボール代表がメダルを獲得したとき、本当に感動したんですよ。中学でバレーボール部に入って競技を始めました。いつか何かの形で大会に携わりたいなと思っていたところ、リオ五輪のときにボランティアの存在を知りました。『これだ!』と思って、東京で五輪が開催される、となったときから、どうしたらボランティアに参加できるのか調べていたんです」 メルボルン大学の学生だった当時、オーストラリアからスマホでボランティアに申し込んだ。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、1年延期となった東京五輪。同じくパンデミックの影響で日本に帰国していた根本さんは、五輪開催時、大学のオンライン授業の合間を縫ってボランティアのシフトに出る、ハードスケジュールを送っていた。 「前回大会では、『アスリートサービス』といって、たとえば選手の誘導や、試合中にコートを清掃するような仕事をしていました。応募要項の『競技歴』の欄に、中学で始めたバレーボールのことを書いていたからか、東京のときも今回と同じく、バレーボールのスタジアム担当でしたね。あこがれの選手と接することもありましたし、ボランティア同士でも、年齢や性別など、立場の違ういろいろな人とかかわれる、いい機会でした」 根本さんは一時期、東京五輪のボランティアがきっかけで、通訳の仕事に携わったともいう。だが何より、そのときにできた友人が、かけがえのない存在になったと話す。 「当時、バレーボールについて一緒に夢中になれる人って、なかなか出会えなかったんですが、同じ場所で働いていた同年代の人たちとは熱く語れました。やっぱりバレーボールスタジアムに配属されるだけあって、みんなバレーボールが大好きで。いまでも連絡を取り合っていますし、私がまたボランティアに参加することを伝えたら『すごいね』って言ってくれました(笑)」 根本さんにとって、2大会連続となるボランティア参加だが、パリという都市にも、とくに思い入れがあるようだ。 「デザインの勉強をしていることもあって、パリにはずっとあこがれを持っていました。町全体がアートの宝庫ですからね。エッフェル塔や凱旋門を題材にすることも多く、休みの日には観光で美術館めぐりをする予定です。 でも何より、東京五輪のときのボランティアが、自分にとって大きな経験になっていて、次も絶対にやりたいと思っていました。東京のときは無観客開催でしたが、今回は多くの観客のなかで大好きなバレーボールがプレーされていて、日本代表を応援する声とかが聞こえてくるんです。 スポーツって、見る人とプレーする人がいて成立すると思うんです。だから、東京のときはちょっと残念で。でも今回はその2つがちゃんとそろっている。やっぱり盛り上がり方が違います。……あ、仕事の合間に、できるときは私も観戦していますよ(笑)」 選手たちは今日も、バレーボールは、スポーツは面白いと証明し続ける。その舞台裏には、スポーツを愛する人々の存在があったのだ。