奇跡的なタイミングで世に出た森山良子の「さとうきび畑」 10分の長尺をギター・弦・木管の同時録音、わずか2テイクでOK
【Jポップのパイオニア 本城和治の仕事録】 「ざわわ、ざわわ、ざわわ~」。森山良子の代表曲として知られる「さとうきび畑」が日本レコード大賞の金賞と最優秀歌唱賞をW受賞したのは2002年。だが初めてレコード化されたのは1969年のことだった。当時森山を担当していた本城和治が振り返る。 「好評だった『カレッジ・フォーク・アルバム』の第2集を構想しているとき、良子ちゃんが『こういう曲があるんだけど』と持ってきたのが『さとうきび畑』でした。作詞作曲を手がけた寺島尚彦さんが彼女の家の近所にお住まいで、彼が散歩がてら森山家を訪れたときに『機会があったら歌ってほしい』と譜面を預けたそうです」 キングレコードの専属作家だった寺島が本土復帰前の沖縄を訪れたことがきっかけで創作された同曲は67年にビクター所属の田代美代子がステージで創唱。当時のレコード会社には専属作家制度があったため、田代のレコードが世に出ることはなかった。 「その制約は森山良子(フィリップス)も同じでした。とはいえ素晴らしい曲でしたから、何かやりようがないかと思案し、とりあえず寺島さんに電話したのです。すると『今月でキングをやめてフリーになります』とおっしゃるではありませんか。しめた! と思って翌月に録音したのです」 まさに千載一遇。同曲は11番まである約10分の長尺だが、本城は生ギター、弦、木管との同時録音を敢行する。 「どこかでミスをしたら最初からやり直しですが、そこはさすがに森山良子。1回目から素晴らしく、わずか2回でOKテイクを録れました。あれほどしびれたレコーディングはそうありません(笑)」 当時の7インチアナログ盤の収録時間は最大5~6分だったためフル尺でのシングル化はできなかったが、NHK「みんなのうた」で短縮版が取り上げられたことから徐々に浸透。多くの歌手がカバーしたことで時代も世代も超えた歌曲となった。 「一過性の流行り歌よりも多くの人に歌い継がれる歌を志向していた私にとって、これ以上の喜びはありません。ほかにも『メリー・ジェーン』や『また逢う日まで』などのスタンダードソングを残せたことはディレクターとして幸せだったと思います」 =おわり
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