50歳にして地元で初の冠番組! 「ハリウッドザコシショウ」を“やす子”“バイきんぐ”“錦鯉”が慕う理由「お笑いと心中する覚悟のあるやつは、必ず売れますよ」が
妥協しない番組作り
ゲストを招いてトークか食べ歩き――これだと企画に手間もかからず、収録も簡単だ。だが、それでは視聴率はもちろん、TVerの再生回数も稼げない。 「そういう番組は、オレはすでに東京でやっています。せっかく故郷で冠番組をもつのなら、今までにやったことのない企画をやった方が絶対にいいですから。だから企画に関してはとことんまで突き詰めて、自分の中でOKというラインを越えるまで粘ります。妥協するのはダメです」 というザコシショウの頭の中には、局は違うが、ある番組の思い出があるからだという。それは、静岡朝日テレビで2010~19年まで放送されていた「ピエール瀧のしょんないTV」。静岡県内の知られざる場所などを紹介する番組で、ザコシショウは「自称・準レギュラー」で出演していた。 「オレがまだ売れる前ですけど、出演させてもらって物凄い勉強になりました。瀧さんがとにかく企画にこだわって、ディレクターとの打ち合わせでも『それじゃ面白くないよ』とかなりダメ出しというか、いい意味で企画に厳しかったんです。番組があれだけ続いたのは、そうした瀧さんの姿勢があったからで、自分が冠番組を持った時は、同じようにやりたいとずっと思っていました」 ただ出演するのではなく、毎回、スタッフと企画について議論を重ねる。舞台でいうならば「座長」のような役割だが、 「全体に目を配るというのは面白さもありますが、その分、苦労もあります。今までなら考えなくてもよかったことを検討しないといけなくなりますから。一番は、やっぱりお金です。この予算だと、ゲストを呼ぶかどうか。スタジオは使えるのか、あるいはアナウンサーに出てもらうかどうかなどなど。でも、現場は毎回盛り上がって楽しんでます」 放送は25年3月まで計5回を予定しているが、放送後の反響もよく、順調にいけば4月以降も継続する可能性もあるという。
50代になって
ザコシショウが「R-1グランプリ2016」で優勝した時、42歳だった。月日が経つのは早いものとはよくいうが、50代に突入したザコシショウ。「芸風はまったく変えない」とはいうが、身体の衰えを感じることはあるという。 「40代まで徹夜は余裕でしたが、最近はしっかり眠くなります。肩も上がらなくなってきているし、体調管理には気を付けています。人間ドックにいって数値が悪かったら、炭水化物を控えるとか。一番長くて、半年くらい続けましたが、さすがにフラフラになりました(笑)」 パンツ1枚にテンガロンハットという“衣装”なので、お肌の手入れは念入りに? 「いや、一切してないです(笑)。ただ、お腹の出具合は常に気にしています。見た目でいちばん面白く感じてもらえるのが今のお腹の状態なので、腹筋ベルトなど器具を装着して、整えていますよ」 25年は、現事務所であるソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)に所属して25年目になる。所属当時は同社が「お笑い部門」を立ち上げたばかりで、芸人の人数も少なかった。年齢的に自然と「兄貴分」として、後輩の面倒を見るようになったが、その中から今ではバイきんぐ(小峠英二=48、西村瑞樹=47)、錦鯉(長谷川雅紀=53、渡辺隆=46)、やす子(26)など、テレビで見ない日はない芸人たちが数多く育ってきた。そんな後輩たちとの思い出についても聞いてみた。