誰が本当の夫?「清少納言の夫」のさまざまな説。夫の1人と言われている橘則光には物騒な話も
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めました。今回は清少納言の夫を巡るさまざまな説と、夫の一人と言われる橘則光のエピソードを紹介します。 著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 【清少納言ゆかりの地】車折神社、清少納言社 ■清少納言の夫にはさまざまな説がある 随筆『枕草子』の著者・清少納言の夫については、さまざまな説があります。 明治時代の後期には、ある学者が次のように唱えました。「納言が他人に嫁いだということは記録にはないが、女子(娘)がいる」「藤原行成や藤原斉信などが納言の才能を愛し、深い交流があった。しかし、納言には定まった夫はいなかった。納言は一生、誰の妻にもならなかったと思われる」と。
同時代には別の学者が、藤原棟世が清少納言の夫ではないかとの説も提示しました。棟世は、平安時代中期の貴族で、筑前守・山城守・摂津守などの国司(地方官)を歴任した人物です。 清原氏の系図には「皇后定子侍女。摂津守藤原棟世妻」とあります。文中の定子侍女が清少納言のことです。 一方、藤原実方が、清少納言の夫ではないかと唱える学者もいました。実方は、侍従・左近衛中将などを歴任しました。 『拾遺和歌集』(平安中期の3番目の勅撰集)以降の勅撰和歌集には67首が入集しており、歌人としても名を残しています(中古三十六歌仙の1人でもあります。ちなみに、その中には、紫式部や清少納言の名もあります)。
『拾遺和歌集』には「元輔が婿になりてあしたに」との詞書とともに「ときのまも心は空になるものをいかですぐしし昔なるらむ」(わずかな間でさえ 逢えないと心は落ち着かなくなるもの どうやってこれまで耐えてきたのかと思います)との歌が収載されています。 元輔というのは、清少納言の父・清原元輔のことです。実方は、元輔の婿となった翌朝にこの歌を詠んだとされています(元輔は、清原元輔ではなく、藤原元輔ではないかという説もあります)。