少年サッカーで姫路と子どもの未来描き50年 “競技未経験の創設者”の元教師が実現した「夢の連鎖」
兵庫県姫路市に、設立から今年で50周年を迎えた少年サッカーのクラブがあります。立ち上げたのは、当時高校教師であり、自身にサッカー経験は無かったという樽本直記さんです。サッカーを通じて人づくり・まちづくりに取り組む樽本さんに、姫路の魅力を伝えるラジオ番組で、これまでの取り組みや未来への展望について聞きました。 【写真】姫路で“夢の連鎖”が生まれ続けている場所 元教師・樽本さんが実現 番組で「サッカー未経験でありながら、サッカークラブ『エストレラ津田サッカークラブ』を創設したきっかけは何だったのでしょうか?」と問われた樽本さんは、「姫路が好き、そして子どもが好き……その想いから、姫路を盛り上げるために子どもたちと何かできないかと思ったときに、サッカーが自由で面白そうだと感じました」と答えました。 思い立ったその日から、樽本さんの教師とコーチの二重生活が始まりました。指導を進めるうち「サッカー経験のない自分もサッカーの勉強をしなければ」と、多忙な中でレフェリーの資格を取るなど自身を追い込み、がむしゃらに毎日を過ごしたといいます。 ところが樽本さんはその後、過労がたたって突如心肺停止になり救急搬送されました。今から約30年前のことです。体が弱ると心も弱ります。精神的にまいってしまった樽本さんは、うつ病も経験しました。それらの大きな出来事は、樽本さんにとって人生を振り返って考えるきっかけとなり、教育に対する考え方も変わったそうです。 「自分を追い込んできた結果、倒れてしまった。このままではいけない」と感じたという樽本さん。ちょうどその頃、社会は“ゆとり教育”へと移行していました。時代が変わったのを察した樽本さんは、それまでのような「がむしゃら」を求める指導ではなく、時代に対応した指導に変えていくべきと気付いたのだとか。そこで教育カウンセラーの資格を取得し、以降、子どもの気持ちを汲んだ傾聴を大切にしてきたと話します。 活動を続けた樽本さんは、2000年にNPO法人「スポーツクラブ・エストレラ」(以下、エストレラ)を設立、17年には大塩町に専用人工芝サッカーグラウンド「エストパーク」を建設しました。 この場所には、健常者だけでなく、障がいのある人たちのサッカーチーム「エストレラパワーズ」も存在しています。樽本さんは「目や耳の不自由な方などハンディキャップのある方も、みんなでサッカーができる共生の場にしたい」との希望を言葉にしました。 子どもと向き合い、しっかりと見つめることに重きを置く樽本さん。「その子の個性や、一番いいところを伸ばすことを大切に指導してきた」といい、“プロフェッショナルを育てる”として、スポーツの技術の向上だけでなく人格形成も重要と捉えています。 そんな樽本さんだからこそ実現することのできたエストパークは、“夢の連鎖”を築く場でもあると樽本さんは語ります。かつての教え子たちが、今はこの場所で指導者として活躍しています。樽本さんは「そしてまたその子どもたちが、ふるさとであるこの場所へ帰ってくる。そんな循環が生まれることがとても幸せ」と話します。 番組パーソナリティを務める姫路市の清元秀泰市長は、「古くから日本では、人を思いやる気持ちを大切にしてきたはずなのに、いつのまにか自分さえよければ良いという考え方が広まっている気がする。エストレラという法人があるおかげで姫路の心が豊かになっていると考えられる」とコメントしました。 樽本さんは「これからは共生の時代。健常者も障がいのある方も共に生きていく、ユニバーサルな社会を目指していきたい」と未来への展望を語って締めくくりました。 ※ラジオ関西『ヒメトピ558』2024年8月2日、9日、16日放送回より
ラジオ関西