『オッペンハイマー』は原爆投下と共産主義嫌悪というアメリカの2つのタブーを侵犯し、映画的野心に満ちている
■ノーランの策が見事に結晶化した
本作は徹底して映画だ。映像と音の質量はすさまじい。僕は180分間圧倒され続けた。ただし多少の予習は必要だ。原爆は核分裂だが、水爆は核融合も利用する。破壊力は圧倒的に違う。アインシュタインはマンハッタン計画にどう貢献したのか。その程度は予習しておいたほうが、映画を絶対に深く理解できる。 ノーランは時おり策に溺れる監督だとの印象がある。『TENET テネット』は何度も挫折して、いまだに最後まで観ていない。でも今回はノーランの策が見事に結晶化した。広島・長崎の惨状も、直接的な描写がなくてオッペンハイマーの一人称で描かれるからこそ、深く強く想起できる。つまりメタファー。映画の本質だ。 広島・長崎への原爆投下については、戦争を終わらせたと肯定するアメリカ人は少なくない。そして共産主義に対しては、今も多くのアメリカ人は嫌悪を隠さない。アメリカの戦後史における2つのタブーを、意図したかどうかはともかく結果として、ノーランは正面から侵犯した。 もう一度書く。本作は徹底して映画だ。ノーランに余計な野心はない。でもあなたは映画的野心を目撃する。 『オッペンハイマー』(日本公開中) ©Universal Pictures. All Rights Reserved. 監督/クリストファー・ノーラン 出演/キリアン・マーフィー、エミリー・ブラント、マット・デイモン <本誌2024年4月9日号掲載>
森達也(映画監督、作家)