ヴェイルサイドが国産旧車「セドリック」を手掛けた理由とは? 横幕代表に聞いた「L型エンジン」への原点回帰
現代の技術を駆使した快適に走れる1台
東京オートサロン2024では、レジェンドなチューナー達の旧車愛を強く感じるマシンが勢揃いしました。その中でもAMWはヴェイルサイドが手がけた1974年式日産「セドリック」2ドアハードトップに注目。製作に際して「日本が世界に誇る最高のチューニング技術を旧いクルマにぶつけてみよう」という横幕代表の強い想いが込められた1台でした。 【画像】楽器のようなこだわりサウンド! 特別な想いで製作された日産「セドリック」を見る(13枚)
トップチューナーの地位へと登りつめたヴェイルサイド
チューニングについてよく知る人ならば、過去のヴェイルサイドの輝かしい栄光の歴史についても知っているはず。横幕代表が特にこだわるゼロヨンにおいては、数多くの歴史的な記録を塗り替えたことは有名な話。そして、他を圧倒するポテンシャルを高めるチューニングを独自に考案し、雑誌主催のチューナーズバトルをはじめ、富士スピードウェイで開催していたRRC、ビッグエンドなどの国内最高峰のドラッグレースにおいてもトップチューナーの地位へと登りつめた。 そんなヴェイルサイドは、日産「スカイライン GT-R」(BNR32)使いであり、RB26DETTという国内最強パワーユニットをベースに、極限までポテンシャルを引き出すチューニングショップとして有名だった。だが、その原点を辿れば、そこにはL型エンジンのチューニングと深いかかわりがあり、エンジンチューナーとしての横幕代表の技術と勘所はL型エンジンで培われたことはあまり知られてはいない。まだ自分のショップを立ち上げる前の横幕代表の若かりし頃の話を聞くと、このように答えてくれた。 「当時はちょうどストリートゼロヨンが流行っていた。クルマの改造が好きな人はみんなゼロヨンにのめり込む日々を送っていたよね。自分も当時の最強パワーユニットと言われたL型エンジンをベースに、誰よりも速く走るために、どうすればもっとエンジンパワーを引き出せるのかを研究し、勝つことへの執念を燃やしていたよ。メカチューンを学び、キャブを勉強し、インジェクション仕様やターボ仕様を作ったりしてね。 その間、エンジンは数え切れないほど壊したし、思うような結果が出なかったこともたくさんあった。このL型からは様々なエンジンチューンの基礎を学び、たくさんの失敗を重ね、悔しさ、歯がゆさ、辛さ、楽しさ、面白さ等、技術や経験値以外の様々な感情や想い入れも養ってくれたんだよね」