曙さんが語っていた退院後の夢、若貴と「元気になって一緒に仕事をしたい」
大相撲の第64代横綱でプロ格闘家としても活躍した曙太郎(米国名チャド・ローウェン)さんが、心不全のため、4月上旬に東京近郊の病院で死去していたことが11日、分かった。54歳だった。2017年にプロレスの遠征先で倒れてから入院生活を送り、リハビリに励んでいたが、容体が急変した。ハワイ・オアフ島出身、203センチの巨漢で史上初の外国出身横綱となり、同期生の若乃花、貴乃花の“若貴兄弟”と1990年代の相撲ブームを盛り上げた。葬儀・告別式は近親者のみで密葬として営まれる予定。 入院生活が丸7年たとうとしていた時、曙さんは東京近郊の病院で旅立った。最期は、クリスティーン麗子夫人(52)ら家族と冗談を言い合う日常を送り、勤務先のハワイからたまたま帰国していた長男・コーディー洋一さん(23)と会話をした後に、眠るように亡くなった。「最期は何を話したか覚えていないぐらい普通の会話でした」とクリスティーン夫人。苦しむことなく息を引き取ったようだ。 次男・カーナー大二さん(20)、客室乗務員の長女・ケイトリン麗奈さん(25)も緊急帰国し、大好きな父と対面した。遺族が死亡時期をすぐに明らかにしなかったのは、病院側に迷惑をかけず、安置場所に移動させるための時間を作る配慮からだった。 曙さんは、同じハワイ出身の先々代・東関親方(元関脇・高見山)にスカウトされ、88年2月に来日。同年春場所で、若貴兄弟、魁皇(現浅香山親方)らと初土俵を踏んだ。長い手足を生かした強烈な突き押しを武器に、序ノ口から18場所連続勝ち越し(歴代1位)。93年初場所で連続優勝を果たし史上初の外国出身横綱に昇進した。優勝は歴代10位の通算11度を数えた。 体調を崩したのは01年に角界を引退し、プロ格闘家に転向後のことだった。17年4月11日、DDTプロレス福岡大会出場後に体調の異変を訴えた。翌日に病院に搬送され、治療中に意識を失った。心臓が37分間停止する重篤な状況に陥ったが、奇跡的に甦生(そせい)。210キロあった体重が130キロまで減った。記憶があいまいになり、足は不自由になった。 心臓疾患で闘病する中、最後に公の場に出たのは19年12月18日。41歳の若さで亡くなった元付け人でかわいがっていた先代東関親方(元幕内・潮丸)の通夜だった。特別に外出許可をもらってベッド付きの車で駆けつけ「悲しい。早すぎる」とタオルで目頭を拭っていた。 病室では、貴乃花との横綱時代の2ショットポスターを飾り、両国国技館の模型をながめていた。曙さんは「若貴がいたから横綱・曙が生まれた」とも話し、相撲協会を退職した若貴兄弟と「元気になって一緒に仕事がしたい」と退院後の夢を語っていた。「いい思い出があまりなかったプロレスのことはほとんど覚えてなくて、強かった横綱時代ははっきり覚えています」とクリスティーン夫人は話していた。 曙さんは、生前、故郷のような楽園をイメージした明るいお別れの会を望んでいたという。大相撲を盛り上げた名横綱が早すぎる死を迎えた。(酒井 隆之) ◆曙 太郎(あけぼの・たろう)1969年5月8日、米ハワイ州オアフ島生まれ。88年春初土俵。90年秋場所で新入幕。92年名古屋場所で大関昇進。93年春場所で外国出身力士で史上初となる第64代横綱に昇進。優勝11回。得意は突き、押し。01年初場所で引退。03年に格闘家に転向し、K―1デビュー。05年にプロレス参戦。家族は妻と2男1女。 〇…都内にある曙さんの自宅は人影がなく、午後7時を過ぎても弔問に訪れる人の姿はなかった。あたりが暗くなった後も家の中は暗かった。近隣に住む女性は「曙さんの姿を最近見たことはなかったが、(曙)一家とは昔から親しくさせてもらっていた」と訃報(ふほう)を惜しんだ。
報知新聞社