【大学駅伝】最後の箱根路/スター軍団・駒大を支えた雑草副キャプテン・金子伊吹「地道にやれば成長していける」
2024年、最後の箱根駅伝を終えた大学4年生ランナーたち。納得のいく走りができた選手や悔いを残した選手、なかにはアクシデントでスタートラインにすら立てなかったエース級もいる。お届けするのは、そんな最上級生たちの物語――。 第100回箱根駅伝総合、往路、復路成績&区間賞をチェック!
3冠チームの副主将として、主将の鈴木芽吹をサポート
駒大の黄金期を彩った4年生世代が卒業する。在学中負けなしの全日本大学駅伝を含め三大駅伝11戦8勝(1年時の出雲駅伝は中止)、この学年から10人の学生駅伝出場者を生んだ。 その中にあって、金子伊吹の存在は異色だ。入学時、金子の5000m自己記録は同学年中11番目。そこから這い上がって、箱根駅伝の5区に2度の出場を果たした。 「高校3年の12月に同期になる面々を知り、正直、すごいところに入ってしまうんだなと感じたことを覚えています。でも、怖気づくとかはなかったですね。みんなで仲良くやっていたし、一緒に生活してみると、(足が)速い選手も『意外と普通なんだな』と感じたんです。地道にやれば自分も成長していけると感じました」 2年時の箱根駅伝は、当時の2年生が10区間中7人を埋める結果に。その一角に金子が食い込んだ。駒大の出場10人のうち、当時の5000m自己記録が13分台に届かなかったのは金子1人。劣勢の中で粘り抜いた区間4位は、十分な仕事だった。 「中学時代から箱根の5区を目標にしてきたので、それが叶ったことはすごくうれしくて。自分が輝ける場所、力を発揮できる場所がここなんだなとわかりました。でも結果的には負けてしまっていたので、『もっと強くならなきゃ』と感じた機会でした」。 3年時は、区間エントリーで金子の名前が5区に入ったが、当日変更で当時1年の山川拓馬にバトンタッチ。山川の付き添いをするかたちで総合優勝に貢献した。練習ができてこその金子。夏の鍛錬期後の2週間ほど、大学入学後初めてのケガがあった。 年が明け、金子は副キャプテンに指名された。「自分は速くない選手なのに……」と謙遜したが、「ぜひやってくれないか」と声をかけてもらったという。 3冠達成チームの副将として重圧もあった。しかし、1年間をやり終えて、「(鈴木)芽吹キャプテンと一緒にチーム作りをやってきて、学ぶことも多かった」と振り返る。 キャプテンの鈴木が言う。「箱根駅伝を終えて一番に思ったのが、『金子が副キャプテンで本当に良かったなぁ』ということ。それにはいろんな理由がありますが、とにかく助けてもらった。『ありがとう』という言葉しかありません」。 金子の持ち前の柔らかな性格で自然と下級生と打ち解け、それだけで学年間の風通しが良くなった。この1年、食堂では誰かの誕生日を祝うちょっとした時間が自然発生。みんなで「ハッピーバースデー」を歌い、当人は誕生日の誓いを発表する。金子が「じゃあ、ちょっとみんなで歌うか」と言い出したことが発端だ。