『プリシラ』 無邪気さの喪失、自分の中の少女が死ぬことを拒むプリシラ
ムードボード
同世代の映画作家であるウェス・アンダーソンが1枚のスチール写真から映画のイメージを膨らませていくように、様々なファッション写真に造詣が深いソフィア・コッポラは写真から映画のイメージを構築していく。ブルース・ウェーバーがマット・ディロンを撮った写真から『SOMEWHERE』(2010)が生まれたように、ソフィア・コッポラは静止している写真が動き始めること、写真を再現することに強いこだわりを持っている。絵コンテを描かないソフィア・コッポラにとっての参考資料だ。ソフィア・コッポラによる“ムードボード”。特にウィリアム・エグルストンの写真は、ソフィア・コッポラのフィルモグラフィー全体において多大なインスピレーション元となっている。キャリアにおいて初めて一から作るセット撮影に挑んだ『プリシラ』においては、グレイスランドを撮ったウィリアム・エグルストンの写真が参考にされたという。 キラキラに輝いていた『マリー・アントワネット』のヴェルサイユ宮殿とは対照的に、『プリシラ』のグレイスランドの内装、オブジェには独特の哀愁、木の香りのようなものがある。しかしプリシラとエルヴィスが過ごす寝室の写真はなかったという。ソフィア・コッポラの映画を象徴するともいえる“寝室”のセットは想像で作られた。グレイスランドの落ち着いた色合いの寝室には影が多く、2人だけが隔離された洞窟のようにも見える。この寝室でプリシラとエルヴィスは性行為の変わりに、枕をぶつけ合ったり、ポラロイド写真を撮り合ったり、いつまでも無邪気にじゃれ合う。エルヴィスはプリシラが21歳になるまで性行為を拒否し続けたことが知られている。
オールウェイズ・ラヴ・ユー
プリシラとエルヴィスは西ドイツで最初に会ったときからの2年の間、一度も会っていない。また映画の撮影等でエルヴィスがグレイスランドを留守にする時間がある。その間プリシラは1人の時間を多く過ごしている。プリシラはエルヴィスの婚約者としてエルヴィスの好きなファッションやメイクを研究する。プリシラはエルヴィスの人形のように始まり、徐々に自分を“ステージング”していく。 14歳のときのプリシラから始まった10歳年上のエルヴィスとの関係について、それをグルーミングだと批判する声は多い。プリシラ自身は今日に至るまでエルヴィスによるグルーミングを否定している。ソフィア・コッポラはプリシラやエルヴィスの選択をジャッジしていない。しかしエルヴィス財団が『プリシラ』への楽曲の提供を拒否した一件が象徴的なように、本作のエルヴィス像は不安定で人を振り回す、闇の深い人物として描かれている。しかし同時に、エルヴィスはプリシラの両親を説得するような誠実さと明るさを持ち合わせている。一人の人間の中にもいろいろな顔がある。 両親としては、エルヴィスがうぬぼれたクソ野郎だったらどれほど安心できたことだろう。それは娘を渡さない充分な口実になるからだ。直接会いに来たエルヴィスの態度が誠実だったおかげで、両親はプリシラを止めることができなかった。娘に一生を後悔させてしまうようなことはしたくなかったのだ。両親の複雑な決断は原作でもプリシラ自身が述懐している。しかしエルヴィスの強迫観念とプリシラによる自分の発見により、2人の関係は終わりへ向かっていく。ここには痛切な無邪気さの喪失がある。 ソフィア・コッポラは自身もティーンの娘を持つ母親であることが、本作を撮る大きな手助けになったという。本作は原作の息遣いやプリシラの少女の視線をどこまでも尊重している。エルヴィスが結婚するまで性行為を拒否したのは、プリシラへの精神的な支配とも受け取れる。フィリップ・ル・スールの手掛けた本作の光と闇を生かした見事な撮影と同じように両義的なのだ。それでもプリシラは、エルヴィスがあの頃の自分のすべてだったと今日に至るまで思いを変えていない。ソフィア・コッポラはプリシラの特異な経験と愛にリスペクトを送り、本作を彼女へのラブレターのような映画に仕上げている。少なくとも私はあなたの経験したことを愛していると。 生前のエルヴィスがレコーディングを望んだドリー・パートンの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」が響き渡る。この曲はプリシラのエルヴィスへの愛に捧げられているだけなく、プリシラが傷だらけで駆け抜けた少女時代そのものへ捧げられているのだろう。自分の中の少女が死んでしまうのを拒否することと、少女時代にさよならを告げることは決して矛盾することではないのだ。
文 / 宮代大嗣