キャンギャル廃止はむしろ周回遅れ?自らが望む“女性らしさ”を打ち出す本来のフェミズムとは
■1周して時代遅れ?過度なルッキズム・フェニズムに警戒心
アクティビスト個人投資家の田端信太郎氏は、「ジェンダーやルッキズムが問題視されるなか、東レは『意識が高い大企業だからちゃんとやる』のだろうが、正直もう周回遅れだ」と評する。「2015~2020年くらいにかけて、『ダイバーシティがないと』と、太めの体形のプラスサイズモデルが登場した。しかし結局、誰も服を買わずに絶滅した。東レも5年か10年後には、またしれっとキャンペーンガールを復活させるだろう」。 ギャルタレントのあおちゃんぺは、販促に加えて、「女性雇用の機会」の側面を語る。「解決策は『女性の体を見せないようにする』ではなく、『男性と同じ権利を女性も得られる』ことだ。同じ上半身裸の雑誌表紙でも、男性モデルは『かっこいい』、女性モデルは『下品』となるのはおかしい。やりたい人は強みを使え、やりたくない人はやらなくていいのが、健全な社会ではないか」。 作家でジャーナリストの佐々木俊尚氏は、あおちゃんぺの指摘を「古典的なフェミニズムだ」と指摘する。「1960~70年代のフェミニズムでは、『女性は体を隠す』という保守的な男性に対して、女性は『自分の美しさを自由に使っていい』となり、ミニスカートが象徴になった」。 しかし半世紀が経ち、「フェミニズムが宗教保守に近づいている」と言われているそうだ。「1950年代に日本でポルノ雑誌の撲滅運動をやった、キリスト教系の右派団体“矯風会”と一緒になっている。『女性は体を隠せ』『性を商品化するな』といった所が、フェミニズムの中心になったことで、おかしな状況になっている」と解説する。 その上で、「マーケティング的な視点と、女性の主体性はわけて考える必要がある」と語る。「売り上げは企業の話で、他者がとやかく言う話ではない。一方で、女性が『商品として見て欲しい』と言うときに、他者が批判するのは単なる抑圧にしか過ぎない。女性の主体性が失われすぎて、キャンペーンガールの否定につながるのはどうなのか」。 (『ABEMA Prime』より)
ABEMA TIMES編集部