『ガンダム』最終話でアムロが「僕の好きなフラウ」といった真意は何だったの?
アムロにとって大きな存在だった「ララァ・スン」
では、なぜ最終話のタイミングで、アムロはフラウの好意に気付けたのでしょうか。物語を通して成長したから、といいたいところですが、もうひとつ見逃せない大きな可能性があります。それは、アムロが「ニュータイプ」として目覚めた点です。 物語の内外を問わず「ニュータイプ」の定義、解釈には幅があるものの、おおむね、「優れた直感力と洞察力の持ち主であり、広大な宇宙空間の環境に適応することで生まれた新しい人類」といった説明がなされています。 その特徴に目をつけた「ジオン公国」は、ニュータイプを軍事利用するため「フラナガン機関」を設け、素養のある人物の調査、研究を進め、ニュータイプである「ララァ・スン」と「シャリア・ブル」を輩出しました。この「ニュータイプの軍事利用」は、のちに連邦も同じ道程を歩むことになります。 アムロも同じく、ニュータイプの能力を戦闘に活かして数々の戦いを乗り越えてきました。しかし敵同士として戦場で出会ったララァとの精神感応を通し、この能力は「戦いのためだけのものではないこと」に気付かされます。 「精神感応」は心と心をダイレクトに通い合わせるコミュニケーションであるため、相手も自身も心が丸裸の状態です。つまり頭の中で言語化できないような感情や思いなども、相手に伝わってしまうということになります。 そうすると、ニュータイプとして覚醒したアムロは、フラウの気持ちなどもある程度以上は察することが可能だったのではないでしょうか。そうであれば、フラウがアムロではなく、ハヤトに気持ちが傾いていたことにも気づいていたはずです。 「僕の好きなフラウ」というセリフは、そのうえで発せられたものなのです。改めて、アムロは何を考えそのような言葉を投げかけたのでしょうか。 これを読み解くカギのひとつは、第1話ですでに描かれていました。「サイド7」で民間人だったアムロとフラウは、ジオン軍の「ザクII」の襲撃に居合わせ、そしてフラウは家族を失いパニックに陥り、避難もままならなくなります。アムロはそのような彼女の頬へビンタを入れ、「しっかりしろ! 君は強い女の子じゃないか!」と声をかけるのでした。つまりアムロはフラウのことを、「叱咤してもへこたれず前を向ける強い女の子」と、認識していたと考えられます。 そして、最終話でフラウがアムロの声を聞く場面は、彼女が「カツ」「レツ」「キッカ」の子供3人を引き連れながら戦闘しているところで、危機的状況でした。パニックには陥っていなかったものの、「焦るな」と言われて落ち着けるようなシチュエーションではありません。 そうしたところへ「僕の好きなフラウ」と、アムロは投げかけたのです。これまでの経緯を踏まえると、「僕の好きなフラウ」とはすなわち「いつものフラウ」ということであり、そしてそれは「君は強い女の子だろ」というメッセージだった、と読み解けるでしょう。古谷さんの「フラウに希望を持たせることもできた」との見解とも一致します。第1話と照らし合わせて考えれば、ビンタ代わりの言葉だったとも解釈できるのではないでしょうか。 また、アムロはフラウだけでなく、「セイラ・マス」や「ブライト・ノア」といった仲間たちへも、ニュータイプの能力を駆使し語りかけたことで、ホワイトベースのクルーは全員が無事に生還しています。これは、ニュータイプの能力が戦闘以外で発揮された貴重なシーンでもあり、つまり『機動戦士ガンダム』は、ニュータイプの明るい側面と可能性を示唆して物語の幕を閉じたのです。その後の「ニュータイプ」をめぐる展開を思うと、何とも感慨深いものがあります。 なお続編である『機動戦士Ζガンダム』では、フラウはハヤトと結婚し、カツ、レツ、キッカを養子として迎えています。また作中では、追われる身になったフラウをアムロが助力して逃げられるように手配していました。フラウはハヤトの子供を妊娠しており、アムロは「元気な子を、フラウ・ボゥ」とも声をかけています。やはりアムロとフラウの関係は、最初から最後まで家族か親戚、といったところが妥当なのかもしれません。
LUIS FIELD