昭和最後の甲子園制覇・広島商 打てなかった農業高校のエース
(第70回全国高校野球選手権記念広島大会 準々決勝 広島商2―1西条農) 1988年、昭和最後の選手権大会を制した広島商。その広島商を苦しませた一人の右腕が、広島県内の農業高校にいた。 【写真】西条農・竹広篤史の「悔いはありません」との言葉を伝える朝日新聞広島版の記事=2024年6月25日午後3時21分、広島市中区鉄砲町、根本快撮影 広島商は前年、春夏の甲子園に出場し、主力だった重広和司を主将に据えて新チームは走り出した。しかし、秋の県大会準決勝で敗退。完投勝利したのが西条農のエース、竹広篤史だった。 この試合、無安打だった重広は「制球が抜群で、スライダーやシュートも鋭く、県内ナンバーワンだった」と語る。竹広擁する西条農は県大会を制し、翌88年春の選抜大会に。春夏通じて初の全国大会出場を果たした。 その頃、広島商は「点を取られなければ負けない」と、猛練習に励んでいた。どんなミスも許さない野球。「動じない精神力を鍛えるのが、広商野球の基本」と重広は言う。エラーがなくなるまで続くノック、集中力を養うための米粒数えが、象徴的な練習だった。 迎えた夏。7月27日の準々決勝、広島商と西条農が広島市民球場で相まみえた。広島商は初戦で選抜出場の広島工を破り、西条農の竹広は3回戦の海田との試合で無安打無得点を達成していた。 西条農の先発は左腕、小早川幸二(後にプロ野球・広島など)。意表を突かれた広島商だが、重広が初回に2点本塁打を放つ。ところが、竹広が二回途中に登板し圧巻の投球を見せると、勢いは封じられた。 広島商の守備陣も踏ん張り、六回に本塁打を許して1点差にされたが、流れをわたさない。息詰まる展開が続いた。 終わってみれば、広島商が2―1で接戦をものにした。六回以降は一人の走者も出せなかったが、本塁を踏ませない堅守で対抗した。竹広を前に沈黙した重広は「竹広が先発していたら、結果は変わったかもしれない」と振り返る。 互いに失策ゼロ。試合後、広島商の川本幸生監督は「守りは100点やってもいい」とたたえた。竹広を打ち崩せなかったが、信条とした「負けない野球」を見せた。 その後の甲子園でも、勝負強さが光った。福岡第一(福岡)との決勝を1―0で制し、春夏通じて7回目の全国大会優勝をもぎ取った。 あれから36年。白一色の練習着の部員らがグラウンドで、荒谷忠勝監督のノックを受けていた。ミスが出ると、「1本目!」の声。エラーがなくなるまで繰り返す、あの練習が続いていた。 坂本麻波斗(まはと)主将(3年)が「どんな状況でも実力を発揮するため」と言えば、米田歩生(あゆき)捕手(同)は「自分のプレーに根拠を持つため」と話す。荒谷監督は「どうしたら1点を取られないか、を考える広商野球を大切にしている」と語る。 重広と竹広はその後、社会人チーム「三菱重工広島硬式野球部」(2020年に活動終了)で一緒になった。 重広は現在54歳。選手引退後は中学生の野球チームのコーチをし、地元の建設会社で常務を務める。7年前に急逝した竹広を「タケは頼りになった。よく飲みにも行った。高校時代の話はしなかったけど」と話す。 長打が出にくい新基準バットが導入された今年。「広商野球の1点へのこだわりが、特に大事になるのでは」。重広は母校の躍進に期待を寄せる。=敬称略(根本快) ◇1988年の主な出来事 【国際】 ソウル五輪開催 【国内】 東京ドーム開場 瀬戸大橋完成 映画「となりのトトロ」公開 【高校野球】 〈春〉宇和島東(愛媛)が初出場初優勝 〈夏〉広島商が6度目の優勝
朝日新聞社