突然の衝撃、暗闇、炎…「誰にも話すな」と言われた友の死 82年前の〝あの日〟を語り始めた理由
大人たちからの口止め
軍部は国内に動揺が広がるのを防ぐため、この空襲について「損害軽微」とし、「敵機9機を撃墜」とウソの戦果を発表しました。多くの新聞もこれにならいました。 堀川さんも大人たちから「このことは誰にも話してはいけない」と口止めされたと言います。 「『日本は神の国だから負けない』『最後には神風が吹く』。当時は大人たちのそんな言葉を、本気で信じていたんです」 やがて戦況が悪化、日本が降伏して、大人たちが言っていたことがウソだと分かっても、堀川さんは自身の経験を話す気にはなれませんでした。 「自分にとっては思い出したくない悲しい記憶でもありましたから、戦後も誰にも話さず、自分の胸にしまってきました」
語り始めた理由
堀川さんが自身の記憶を語るようになったのは、10年ほど前。自分と同じような経験をした語り部たちと出会ったことがきっかけだと言います。 「今は、戦争の不条理を知らない人たちが圧倒的多数になっているでしょう。自分の経験を語って残すことが、私に残された責務じゃないのかと考えるようになったんです」 日本中が「勝ち戦」の熱気に包まれていたさなか、自分の町に突然、爆弾が落ちてきたあの日のこと。 親友を亡くした悲しみや、家を失い、疎開先でつらい思いをしたこと。 地域の中学校や図書館などに出向き、若い世代に自身の戦争体験を語っています。 「戦争は勝っても負けても、庶民にとっていいことなどありませんよ。あの日、突然命を絶たれてしまった美佐男君のことを、私は忘れません」