こいのぼり、揚げちゃダメ!?愛媛のある地域に残る「ちょっぴり怖い」言い伝え 前編
5月5日は端午の節句。愛媛県の各地で、大小さまざまなこいのぼりが空を泳いでいます。ところが、県内にはこいのぼりを揚げてはいけない地域があるそう。そんなうわさを聞いて訪れたのは、県都・松山市の郊外。住民らへの聞き込みを続けて見えてきたのは、地元の歴史に結び付いた「ちょっぴり怖い」言い伝えでした。 (伊藤愛) 松山市中心部から車を走らせること約20分。たどり着いたのは、閑静な住宅街が広がる星岡地域です。まだ3月中旬なので、どこにもこいのぼりは上がっていませんが、うわさは事実でしょうか。早速、聞き込み開始です。 歴史がありそうな家のインターホンを押すと、出てきてくれたのは大原俊介さん(77)。話を聞くと、なんと星岡町内会長でした。うわさをぶつけてみると「この辺りで、大きなこいのぼりを揚げている家は見たことありませんね」と一言。やはり、星岡地域でこいのぼりを揚げない風習があるのは本当のようです。 一体、なぜでしょうか。大原さんによると、理由ははるか昔の鎌倉時代を舞台とした言い伝えにあります。当時、戦争で敗走した兵士が星岡地域のこいのぼりによじ上って隠れていたところ、敵に見つかって殺されてしまった。「だから、こいのぼりを揚げるのは縁起が悪いこととされているんです」 1965年に発行された「石井村史」にも、同様の説明がありました。「いつの頃か星岡で戦争があった。敗軍の逃げ遅れた一人がこいのぼりのさおによじ登り潜んでいたが、敵に発見せられ、捕らえられて悲惨な最期を遂げた。以来、こいのぼりを立てると不吉な事が起こるのでたてぬようになった」 言い伝えの由来になったのは、どのような戦争だったのでしょうか。地域内に古戦場跡地があるというので訪ねてみました。 4月上旬、大原さんと星岡町内会副会長の菅優子さん(63)と一緒に、木々に囲まれた山道を登ること10分ほど…。標高約75メートルの開けた星岡山の山頂にたどり着きました。 「まさにこの辺りが、敵陣に占拠されていたんですよ」。2人の説明を受けながら広場を進むと、一番奥に「星岡表忠之碑」と書かれた石碑があります。その隣に設置されている案内板に、戦争の詳しい内容が記されていました。 時は鎌倉時代末期。星岡地域を含む久米郡を治めていた土居通増は、鎌倉幕府倒幕を目指していた後醍醐天皇側についていました。 1333年、久米群を含む一帯は、伊予に上陸してきた幕府側の討伐を受け、一時は星岡山を占拠されますが、返り討ちにします。地元の武将の功績をたたえて、1883年に石碑が建てられたそうです。 先ほどのこいのぼりのさおによじ登った兵士は、この戦いでの幕府側の人間だったのでしょう。一連の経緯を踏まえて「こいのぼりを揚げると、殺された武将の悪霊を呼び寄せる」といった言い伝えが住民の間で浸透していったそうです。大原さんも菅さんも息子が生まれた際、端午の節句では五月人形のみを購入し、こいのぼりは買いませんでした。 ただ、星岡地域は3千人を超える住民がいます。大原さんによると、古くから住んでいる人は1、2割で「言い伝えを知らない人も多いかもしれない…」と語ります。 ということで、最近引っ越してきた人にも話を聞いてみました。5年前に移り住んだという加藤弥さん(33)は「昨年、息子が公民館の町歩きイベントに参加した時に、こいのぼりの話を聞いてきたんです。その時に初めて知りました」。ただ、言い伝えは気にしていないそうで「こいのぼりを飾っていないのは持っていないから。もしあれば、飾っているかな」 転居して10年目になるという60代の女性は「(言い伝えを)全く知らなかった」と驚いた様子。「そういえば、あまりこいのぼりを見かけませんねえ。でも、子どもの健康を願う縁起物だから少しさみしい気もしますね」 このように言い伝えを知らない住民も、一定数いるようです。そこで気になったのが、星岡地域の真ん中に位置する「松山認定こども園星岡」です。保育現場に季節の行事はつきもので、こいのぼり作りなどもよく見かけます。 運営する学校法人松山学園の西宮京子学園長に話を聞くと、約10年前に赴任した際、地域にこいのぼりが揚がっていないことに気付いたそうです。当時の町内会長から言い伝えを聞き、それ以降は園庭にこいのぼりを揚げることをやめました。「日本の伝統なので、こいのぼりを全く揚げない訳にはいかないのですが、地域に根ざした園にしていきたいという思いから室内飾りに変更しています」 こども園にまで影響を与える言い伝えの力に驚いていたところ、気になる情報が入ってきました。なんと、こいのぼりを揚げない風習があるのは星岡地域だけではないらしいのです。 教えてくれたのは、生まれも育ちも星岡地域の名田免さん(75)、博美さん(75)夫妻。息子や男の子の孫が生まれた時もこいのぼりは買わず、古くからの風習を守ってきました。免さんは「昔から住んでる人は、みんなこいのぼりは揚げてないね。隣の今在家町も同じ風習があるはずですよ」。
愛媛新聞社