<挑め!心一つに・’24センバツ田辺>軌跡/下 喜び・感謝、勝利で返す 76年ぶり 新たな田高伝説へ /和歌山
チームに吉報が届いたのは、昨年11月10日だった。昨秋の近畿地区大会で初戦敗退してから2週間あまりのこの日、21世紀枠県推薦校に選ばれたのだ。県予選や近畿地区大会の戦績に加え、学業との両立、野球を通じた小学生との交流などが評価された。さらに12月8日には近畿地区の候補校に選ばれ、センバツへの道が大きく開けた。 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち 田中格監督(51)は「近畿地区大会初戦で京都国際に負けたときは、甲子園は無理だと思っていたが、光が見えてきた。21世紀枠に選ばれることを想定して練習していこうと選手たちに話した」と振り返る。主将の山本結翔(ゆいと)(2年)は「日々モチベーションが上がっていた。全員やる気が出ていた」と話し、選手たちは少しずつ、憧れの聖地を意識し始めた。例年は春季大会に向けて調整を進めるが、センバツ出場を想定し、筋トレの頻度やダッシュメニューを増やして調整を早めたという。 ただ、年が明けてセンバツ出場校の発表が近づくと、日を重ねるごとに不安が募った。「他のチームが素晴らしいので厳しいのかなと思っていた」と田中監督。田辺以外の2校を有力とする報道もあり、選手たちの期待もしぼみつつあった。 迎えた今年1月26日、授業終わりの選手たちが集まり、タブレットで選考委員会総会の様子を見守った。「近畿地区の田辺高校を選びました」。選手たちは抱き合って喜びを爆発させた。柴田奏心(そうし)(2年)は「正直信じられなかった。泣いている選手もいた」と振り返る。 喜びをかみしめたのは選手だけではない。校長室で西嶋淳校長、嶋田大輔部長(34)と選考委員会総会を見守った田中監督は、田辺が選ばれたことを聞くと自然と涙があふれ、何度もハンカチで拭った。他校も含めて14年半の監督人生。つかみかけては逃してきた甲子園に、監督として初めてチームを導くことができた。 「年も年なので……。あの時の感情を言葉にしろと言われてもできない。今まで野球で泣いたことはなかった」と田中監督。実感を伴ったのは発表翌朝になってからだ。「『夢じゃなかったんやな』と目覚めた」と笑う。 憧れだった甲子園が現実となったことで期待と責任も感じている。田中監督は「勘違いしちゃあかんで。選ばれたのは学校や地域の人のおかげでもある」と選手に語りかける。山根勇人(2年)は「監督は『勝つことが大事』と話していた」とし、センバツ出場がゴールではなく、やるからには勝利をつかみにいくことをチームの共通認識とした。 76年ぶりにセンバツに帰ってくる田辺が、新たな田高伝説を作る。【橋本陵汰】