サッカー日本代表から消えた天才「ぷらっとしてます」流浪のMF、中田英寿が「ゾノを呼んで下さい、岡田さん」トガっていた前園真聖への信頼
若き日の前園は“トガっていた”
<名言3> 岡田さん、とりあえずゾノを呼んで下さい。 (中田英寿/Number440号 1998年3月12日発売) https://number.bunshun.jp/articles/-/848930 ◇解説◇ サッカー男子にとって28年ぶりとなる五輪出場を果たした、1996年アトランタ五輪。川口能活や中田英寿といったメンバーの中でキャプテンを任されたのは前園真聖だった。アジア最終予選準決勝サウジアラビア戦では2ゴールを挙げる大活躍で五輪切符を手繰り寄せる原動力になった。 今ではバラエティー番組で“いじられキャラ”になるなど、前園はすっかり丸くなった。しかし20代前半の若き日には、殺到するメディアに自身の意図することとは違う報道がされることもあった。 「馴れ馴れしさを少しでも見せれば自分が崩れていってしまうような気がしていたんです」 自身でも当時は“トガっていた”ことを認めている。 そんな前園だが、サッカー選手につきものの移籍によって、キャリアが大きく変わることになった。横浜フリューゲルスからスペイン移籍を狙ったものの、結局はヴェルディ川崎でプレーすることに。その後はブラジルやポルトガルやギリシャのチームでプレーするも本契約には至らず、2000年にはJ2に降格した湘南ベルマーレでプレーすることを決めた。 「オレは日本へ戻る時、J1に復帰できないようなら後がないと思ったから。この先、サッカーできなくなることまで覚悟しましたから」 と語るなど、プロサッカー選手の人生の厳しさを肌で感じた代表格と言える。
中田英寿も前園の突破力には一目置いていた
選手としてのピークは短かったとはいえ、「ドリブルはどこで使えば相手の脅威になるかの選択が大事」と語るなど、そのドリブルの切れ味は日本サッカー屈指だった。 冒頭の言葉はフランスW杯出場権を獲得したのち、中田が前園との対談で「Number」誌面上で語ったものだ。前園と中田はテレビCMで共演するなど“仲良し”で知られた。日本代表の中核になりつつあった3学年下の後輩も、その突破力に一目置いていたのだ。 苦難のキャリアを送った前園だが、アトランタ五輪本戦では金メダル候補と見られていたブラジル代表を撃破する「マイアミの奇跡」を成し遂げたのは事実だ。一方で、その舞台に立つはずだった「レフティーモンスター」小倉隆史は、嘱望されたサッカー人生に暗雲がかかっていた。 <つづく>
(「スポーツ名言セレクション」NumberWeb編集部 = 文)