元日本代表の岩本輝雄氏が若手Jリーガーに訊く Y.S.C.C.横浜MF道本大飛選手「自分に自信があるのなら、辛くても絶対に続けて」
Jリーグでは6チームを渡り歩き、日本代表では1994年のファルカン監督時代に初選出され以降国際Aマッチ 9試合 2得点をマーク。2006年12月にオークランド・シティFC(オーストラリア)で現役を退いてからは、タレント活動やサッカー解説などでも活躍する岩本輝雄氏。 そんな岩本氏が川崎フロンターレU-18を経て関東学院大学に進学、大学卒業後は2023年Y.S.C.C.横浜に入団を果たしたプロ1年目で26試合に出場し2ゴールをマークした道本大飛選手に話を訊いた。 ――プロ1年目はどうでしたか? 強度は違ったんですけど、自分の武器であるドリブルは通じた部分もあったので自信にはなりました。あとは90分間通して常にいいプレーができるようにならないといけないと思っています。 ――サッカーを始めたきっかけを教えて。 小学校1年生に叔父の影響で地元横浜の藤の木SCでサッカーを始めて、中学は横浜栄FCに行きました。 ――その時から攻撃?ドリブラーだったの? そうですね。サッカーを始めた頃からドリブルが好きだったんですが、中学校時代から特に好きになり爆発しました(笑)。 ――そこから川崎フロンターレユースに入ったの? 高校サッカーにはあまり行く気がなくて、いくつかオファーは頂いていたんですが、自分にフィットしそうな川崎フロンターレユースを選びました。 ――フロンターレはどんな感じだった? 1個上には三笘薫さんがいて、同期には田中碧がいて、特に三苫さんは凄かったですね。 ――三笘君の何がその時から凄かった? サッカー選手として全部がずば抜けてましたね。その頃にドリブルを身に付けていったみたいで、全てにおいて本当に凄かったです。 ――その時、道本君は試合には出ていたの? 2年生になり少しずつ出られるようになってはいたんですが、3年次になっても、半分くらいしか出られなかったですね。 ――その時の自分は何が足りなかったと思う? 自分は試合に出られないことに対して視野が狭くなっていて、いっぱいいっぱいでした。でも碧はその時からプロに向けての準備を始めていて、今感じるのはプロへの意識が凄かったですね。その点僕は全然意識が全然足りなかったですね。 ――そういう時はオフの過ごし方も大事じゃない? はい。その時は自分はオフの時間を楽しみにしていたんですけど、碧とかはそういう時でもサッカーと向き合っていたし、それこそ高校1年生の時から全てをサッカーに注いでいました。