野村克也が語る「90年代ヤクルト」
気持ちはセンターへの強い打球も……
7月12日に行われたヤクルトOB戦『スワローズドリームゲーム』に出場した筆者/写真=桜井ひとし
7月12日、ヤクルト球団創立50周年を記念し、OB戦『スワローズドリームゲーム』が行われた。当日はあいにくの雨にもかかわらず、2万7000人超のお客さんがスタンドに詰めかけてくださった。 私は『ゴールデン90's』チームの監督。若松勉監督率いる『スワローズ・レジェンズ』に1対6とリードされた4回裏、代打に出た。 ちゃんと立っていられるかどうかさえ不安だったものの、バットを握れば、なんとかなるものだ。松岡健一の超スローボールを、初球は見送りストライク。2球目、思い切ってバットを振った。気持ちとしてはセンターに打ち返したかったが、あえなく空振りだ。久しぶりのバッターボックス。打ちたかったな。打てるものなら、ホームランを打ちたかった。しかし、年齢には勝てない。その2球で若松監督から「申告敬遠」をもらい、代走を出してベンチへ戻った。 現役引退から、早や39年。ヤクルトのユニフォームを着るのも21年ぶり。最高の思い出ができた。ドリームゲーム当日のセレモニーでも話したが、ヤクルト球団には足を向けて寝られない。ヤクルトはおろか、セ・リーグにも縁のなかった私に、9年間も大切なチームを任せてくれた。おかげでリーグ優勝4度、日本一3度。あれほど名誉なことはなかった。監督生活24年、最も幸せな時期だったのは間違いない。 一番の殊勲者は、私の招へいに・・・
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週刊ベースボール